石清水八幡宮護国寺略記 いわしみずはちまんぐうごこくじりゃっき

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 1巻
  • 重文指定年月日:20000627
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 石清水八幡宮
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 『石清水八幡宮護国寺略記』は、石清水八幡宮寺の開山行教【ぎょうきょう】の述作である。石清水祀官家系図・紀氏系図などによれば、行教は紀氏の出自で、紀魚弼の子であり、大安寺の僧である。「石清水」の山号は大安寺塔中院縁起に房号から起こったと伝えている。
 本略記は、三善為康(一〇四九-一一三九年)の『朝野群載』巻第十六、仏事上と、『群書類従』巻第十四、神祇部十四に収められており、一般に知られた縁起であるが、原本は現存しない。
 内容は、行教が貞観元年(八五九)四月十五日より豊前国宇佐宮に参籠し、七月十五日夜半に八幡大菩薩の神託を受け、神託に従って宇佐八幡三所の神霊を八月二十三日に石清水男山の峰に移座したこと、このとき清和天皇・皇后等は男山の峰から紫雲が立ち昇って王城を覆うという瑞夢をみたこと、行教の奏聞によって、九月十五日勅使を下して実検・点定のうえ、木工寮権允橘良基をもって六宇の宝殿を造立し、三所の御体を安置したこと、そして宇佐本宮の例に准じて祭祀・祈祷を勤仕することになったこと等、石清水八幡宮寺創立の経緯を詳細に述べている。
 体裁は巻子装で、茶地金切箔散の表紙に「石清水遷坐縁起」と外題を墨書する。料紙は茶染紙を打紙【うちがみ】加工し、雲母引、銀界を施している。本文は首題「石清水八幡宮護國寺略記」以下を完存する。巻末の奥書は、本文料紙とは異なり、楮紙に書かれている。この奥書は、花押・書風などから法印権別当宗清【そうせい】(一一九〇-一二三七年)の寛喜四年(一二三二)の自筆と認められる。奥書によれば、本書は重代相伝の本で、家宝であること、世尊寺行能【せそんじゆきよし】(一一七九-一二五五年)が書写したことが知られる。追筆で、弘長元年(一二六一)に本書を後深草上皇の叡覧に供したことを記している。

石清水八幡宮護国寺略記

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