泉貨紙 せんかし

工芸技術 その他

  • 選択年月日:19800404
  • 記録作成等の措置を講ずべき無形文化財

 泉貨紙は、戦国時代に南予の宇和地方を支配した西園寺公広に仕え、数々の功績のあった兵頭太郎右衛門が、西園寺公広の死後、入道して泉貨と号し、産業奨励に従事する中で、楮【こうぞ】の厚紙を発明したことに始まると伝えられる。
 十七世紀の後半になると、宇和島の泉貨紙(仙花・仙過等と記す。)は、大阪などに大量に進出するようになったが、有名になるとともに、吉野など他産地でも類似のものが漉かれるようになった。宇和島藩は紙漉きを所管する役所を設置し、主要な村々に支局を配して、奨励を図るとともに統制を強化した。その結果、泉貨紙をはじめ各種各様の紙を漉き出すようになり、量産ばかりでなく、技術的にも発展した。
 泉貨紙は、原料に地元楮を用いた楮紙であり、その製法の特色は、細かい竹簀【ず】と粗い萱【かや】簀(しの簀)の二枚の簀を用いて、交互に漉き、一枚に合わせるもので、この結果、細かい簀には微細な繊維がのって薄紙となり、粗い簀には長い繊維がそろって厚紙となり、この両者が補いあって一枚になると、漉き終わりの繊維の立った面どうしが接するため、密着して容易に剥がれない強靱な紙になる。なお、近年は一つの桁の向こう側に細かい竹ひごで編んだ簀を置き、手前には粗い竹ひごで編んだ簀を置き、同時に紙を漉き、その後直ちに向こう側の簀を手前の簀の上に折り重ねて、一枚に合わせる方法が行われる。
 江戸時代の用途は、保存を要する帳簿や経紙等であったが、現在は出版用紙(写真貼り等の台帳)や柿渋や漆を塗る紙貼りの籠の材料となる。
 泉貨紙の紙漉きは、終戦時で約三〇戸であったが、昭和四十年頃に…

泉貨紙

ページトップへ