高天神城跡 たかてんじんじょうあと

史跡 城跡 / 中部

  • 静岡県
  • 掛川市
  • 指定年月日:19751016
    管理団体名:掛川市(平19・7・9)
  • 史跡名勝天然記念物

高天神城は応永23年(1416)上杉禅秀の乱に際し、鎌倉公方を支援した今川氏が築いたものとされるが、永禄年間には徳川氏に帰属し、西上を策す武田方と相対峙した。天正2年(1574)に、武田勝頼が攻略・開城させ、以後、徳川方と数次にわたる合戦が行なわれたが、天正9年(1581)、織田信長の支援を得た徳川家康勢の包囲攻撃を受けて落城した。
 城は東海道掛川の南11キロメートルにある鶴翁山(標高130メートル)に築かれたが、現在も東峰の本丸跡など主要郭の跡や空堀等を見ることができる。諏訪原城跡と並んで、戦国期の過程を理解する上で逸することのできない遺跡であり、中世山城の遺構としても秀れたものがある。
 高天神城跡は室町時代には遠江を領有していた今川氏の支城として機能していたが、永禄年間には徳川氏に帰属し、西上を策す武田方と相対峙した。天正2年(1574)、武田勝頼が攻め、長期の兵糧攻めの末、開城させた。以後、徳川方と数次にわたる合戦が行われたが、天正9年(1581)、織田信長の支援を得た徳川家康勢が包囲し落城させた。城は東海道掛川の南約8km(旧大東町)にある鶴翁山(標高130m)に築かれたが、現在も東峰の本丸跡等主要な郭の跡や空堀等を見ることができる。平成10年度に基本整備計画が策定され、継続的に発掘調査が実施されている。今回、南に延びる尾根を分断する大規模な堀切が存在する部分や山裾部のうち、条件の整った部分について追加指定をし保護の万全を期そうとするものである。

高天神城跡 たかてんじんじょうあと

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