永源寺文書(八千七百四十七通) えいげんじもんじょ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 61巻、14帖、1604冊、88幅、6748通、13鋪、3枚
  • 重文指定年月日:20020626
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 永源寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 永源寺は、臨済宗一四派の一つ、永源寺派の本山で、康安元年(一三六一)、近江守護六角氏頼(一三二六-七〇)が中国(元)に渡って修行した高僧の寂室元光【じゃくしつげんこう】(一二九〇-一三六七)を開山に懇請して創建した寺院である。
 永源寺に伝来した文書は、(一)寺の什物台帳である『交割帳』に記載されているものと、(二)近年に長櫃やその他の函に収納されたものとの二つに大きく分けられる。(一)は中世文書を中心とし、近世文書は朝廷、幕府、彦根藩に関するものが多い。(二)は売券、寄進状、算用状等の中世文書も含まれているが、近世文書が多くを占める。
 このうち、中世文書は、永源寺の所領に関するものが中心で、鎌倉・南北朝時代には、康安二年(一三六二)九月二日附六角崇永寺領寄進状をはじめ、売券・寄進状が目立つ。室町時代以降は、永源寺領への押領停止や守護使不入・諸役免除を命じた歴代将軍の御判御教書などがまとまっている。戦国期に入ると、六角氏の近江における領国支配権確立を反映して、文亀二年(一五〇二)六月二日附六角氏奉行人連署奉書など、段銭・臨時課役・諸公事の免除や祠堂銭に対する徳政免除等を内容とする六角氏発給文書の占める割合が増えてくる。
 近世文書は、(イ)由緒、制規、法会や僧籍帳・日鑑や財政関係等の内情に関わるもの、(ロ)末寺から提出されたもの、(ハ)朝廷、幕府、彦根藩との交渉に関わるものなどに分けられる。このうち、『日鑑』は元禄六年(一六九三)から幕末まで七〇冊あり、その間の寺内外の状況をかなり詳細に知ることができる。末寺からの文書には、僧の転籍や、他の末寺、檀家等との争論に関するものが少なくない。また、幕府の触・達の類では、延宝三年(一六七五)の常紫衣勅許に関するものがまとまっている。
 本文書は、永源寺の創建時より伝わった文書群で、永源寺をとりまく朝廷、幕府、守護六角氏などの動向や、地方禅宗寺院の経営のあり方を具体的に明らかにする史料として、宗教史研究上に重要である。

永源寺文書(八千七百四十七通)

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