塑造金剛蔵王立像心木 そぞうこんごうぞうおうりゅうぞうしんぎ

彫刻 / 奈良

  • 奈良
  • 1躯
  • 重文指定年月日:20040608
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 石山寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 石山寺本堂厨子内本尊如意輪観音像(重文)の右脇侍として安置されていた塑造蔵王権現立像の心木で、最近の修理により江戸時代の塑造部分が取り除かれ、心木として保存されたものである。
 頭部、体部、脚部の概形をあらわし、左手を側面にやや広げ、右手は屈臂して上げて拳を作り、左足を立脚として右足を上げる。背面に腰から裙裾までの概形をあらわし、左方になびかせる。
 ヒノキと思われる針葉樹材製。構造は、頭体幹部の正中よりやや左寄りで左右二材を矧ぎ(左方材は左足および〓を含む)、概形を粗彫りする。根幹部右方材と左方材の間に三角形状の材を挟む。両手上膊部、右手前膊部(左前膊材欠失)を矧ぐ。右足の大腿部、下脚部、および足先(後補)は各一材からなり、大腿部の付け根は丸〓で腰部に差し込み、下脚部との間は三枚矧ぎする。腰部背面に裙先材(一材)を当てる。
 正倉院文書によれば、石山寺本尊および両脇侍像は、造石山院所によって天平宝字五年十一月十七日に造立が始められ、翌年八月十二日に彩色が終了したことが知られる。三尊とも「〓」、つまり塑造であったことがわかる。塑造の心木には、角材等を組み合わせて骨格をつくるものと、像の概形を彫成するものがあり、本像は後者に分類される。
 石山寺は史料の上から造東大寺司より仏工等が派遣されて造営され、製作過程の細かな工程、材料、人員等の判明する点で貴重であったが、創建当初の遺物は残っておらず、この心木の発見は貴重で、文化史的、彫刻史的にみて非常に意義が高い。
 現在、右足を上げるが、台座には右足〓を入れる〓穴が開けられている。右足大腿部付け根には後に削り取られた痕跡があり、根幹材と木心の位置が同じことから共木と推定され、当初は両足を地につけていたとも考えられる。両手肘部、右足膝部で三枚矧ぎの仕口なのも特徴的である。
 なお、名称について正倉院文書では中尊像を「観世菩薩」、両脇侍を「神王」と記しているが、『覚禅鈔』等平安時代の文献では「如意輪」「金剛蔵王」「執金剛神」と記しており、そのうち「金剛蔵王」がこれに相当する。
 附の塑像断片は、損傷著しかった後補の塑造面相部の中から取り出された神将像の髻、眼、口の一部で、造東大寺司系の塑像に類似する。光背は、形状および彩色からみて中世に遡るものと思われ、寛元三年再興時のものとも考えられる。
 像内納入品は心木の胸に開けられた長方形の刳り込み孔に納入されていたものである。中尊像内に舎利を籠めたことは正倉院文書に記述があり、類例として観世音寺の心木にも同じような刳り込み孔がある。舎利安置の古制を伝えたものとして貴重である。

塑造金剛蔵王立像心木

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