三嶋大社矢田部家文書 みしまたいしゃやたべけもんじょ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 安土・桃山 江戸 平安 室町 鎌倉 南北朝

  • 平安~江戸
  • 592通
  • 重文指定年月日:19940628
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 三嶋大社・矢田部正巳
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 本文書は伊豆国の総社・一宮として栄えた三嶋大社の宮司家の矢田部家に伝来した古文書で、現在は維新後の官幣社制度の過程を経て、大社文書百五十五通、矢田部家文書四百三十七通に分蔵されて伝わっている。
 このうち大社文書は中世文書百十七通、近世文書三十八通からなり、旧矢田部家中世文書の大部分を占める。また矢田部家文書は古代・中世文書三十一通、近世文書四百六通からなる。
 本文書中、最も時代の遡る文書は康和五年(一一〇三)十一月、三嶋宮司職に伊豆宿禰国盛を補任した国司庁宣【こくしちようせん】で、鎌倉時代の文書では治承四年(一一八〇)八月十九日源頼朝下文【くだしぶみ】案以下三通の頼朝文書が最も古い。料紙、筆跡、署名等よりみていずれも鎌倉時代後期の写文書とみられるが、頼朝挙兵時の所領寄進を含む両者の関係を伝えている。南北朝時代の文書は中世文書の半数を占め、元弘三年(一三三三)八月九日足利尊氏禁制以下の足利氏発給文書がまとまっている。なかには観応擾乱時に尊氏・直義の発給した小切紙の御教書などともみえるが、特に伊豆を中心に駿河・武蔵・相摸における三嶋社領の寄進の経緯を明らかにする文書が多い。室町時代以降のものは、足利基氏から持氏に至る鎌倉公方の御教書以下、鎌倉府発給の文書や、伊豆守護の文書がまとまっている。なかでも応永七年(一四〇〇)六月十五日足利満兼願文は、氏満・満兼二代にわたる幕府との対決の一端を伝える文書として注目される。
 近世文書は同社神主職の相承と社家・社僧、神事祭礼の日常や三嶋宿、伊豆地域との密接な関係を伝えるなど多岐にわたっているが、とりわけ近世の境内社殿の具体的変遷を伝える境内図や建築指図がまとまっていて注目される。

三嶋大社矢田部家文書

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