釈迦涅槃図蠣崎波響筆 しゃかねはんずかきざきはきょうひつ

日本画 / 江戸 / 北海道 

蠣崎波響 (明和元年~文政9年)
かきざきはきょう
北海道
江戸時代/1764~1826
1
高龍寺 函館市船見町21番11号
市電函館どっく駅から徒歩10分、函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
高龍寺
北海道指定有形文化財

・蠣崎波響(1764~1826)は第12世松前藩主資広の5男として福山城に生まれ、翌年、家老蠣崎将監広当の跡継ぎとなりました。幼少から江戸に出て、建部凌岱や宋紫石に師事し、南蘋派の画風を学びました。寛政元年(1789)のクナシリ・メナシの戦いに際して、松前藩に協力したアイヌの肖像「夷酋列像」は光格天皇の叡覧に供されました。波響はこの上洛で、当時京都画壇の主流であった円山四条派の画家や文人たちと交流を持つようになり、大きく影響を受けました。松前藩が陸奥国伊達郡梁川村(福島県伊達郡梁川町)に移封された期間(1807~1821)は家老として復藩のために奔走する一方、画人としての活動もまた最も充実した時期といわれます。復領し松前に戻った波響は家老職を退き、家督を息子波鶩に譲りました。諸侯のもとを復領のあいさつにまわり、江戸で病床に伏し、故郷松前で没しました。
・この作品は、涅槃図では珍しく、双幅の形式をとっています。中心となる釈迦を囲む会衆や寝台の東西南北に2本1組で配される沙羅樹などは左(右幅)に集中しており、右幅だけで成立するようにも、3幅で1幅を欠くようにも受け取れる構図です。
・箱の裏に文化11年(1814)、表装裏には文化9年と記されているが、為書から、文化8年に函館の高龍寺11世禅海上人のために波響楼で制作されたといわれます。ふつう波響楼は松前にある波響の屋敷を指しますが、この時松前藩は梁川移封中でした。松前や函館に滞在したか、梁川で制作したか、また波響白身の款記かにも疑問が残ります。しかし、これだけの大画面に得意とする唐人物風の菩薩や多種多様の鳥、動物が写実的に描き込まれ、波響が全身全霊をもって取り組んだ様子が感じられます。波響作品における最高傑作の1つに挙げられます。

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