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泡瀬の京太郎

あわせのちょんだらー

概要

泡瀬の京太郎

あわせのちょんだらー

無形民俗文化財 / 沖縄

選定年月日:20050206
保護団体名:泡瀬京太郎保存会

記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財

 泡瀬の京太郎は、太鼓や歌三線【うたさんしん】の演奏に合わせて「扇子の舞」や「鳥刺し舞」などを演じるもので、かつて沖縄で行われていた祝福芸の様子を伝えている。
 沖縄市は那覇市から東北約二〇キロメートルの沖縄本島中部東海岸にあり、泡瀬地区は同市東部、中城湾に面した地区である。
 泡瀬の京太郎は、泡瀬地区や沖縄市などの各種行事の折などに演じられている。胸前に縦に太鼓を付け、両手に撥を持った太鼓打ち一人、腰に馬の頭部の形をしたものを付け、その手綱を握った馬舞者【うまめーさー】と呼ばれる者二人、陣笠をかぶった舞い手が一〇人ほどと、三線を演奏しながら歌う歌三線で構成される。演目は「早口説【はやくどち】」「扇子の舞」「御知行【うちじょう】」「馬舞者」「鳥刺し舞」である。早口説は、舞い手たちが登場するときの演目である。歌三線にのせて、舞い手や馬舞者、太鼓打ちが、登場する。歌三線が歌詞の一節を歌うと、次に舞い手たちが同じ一節を歌う。これを、繰り返しながら行進してくる。歌詞に「京太郎姿に、うちやすり」とあり、自分たちは京太郎の演じ手になっていると歌っている。扇子の舞は、太鼓打ちが太鼓を打ちながら歌い、舞い手は右手に扇子を持ち、囃子詞を歌いながら踊る。歌詞に「お祝いの万歳」など祝福の意味の言葉が含まれている。御知行も、太鼓打ちが歌い、舞い手が右手に陣笠を持って踊る。歌詞に「御知行は一万石」など、知行地の収穫の豊かさを升で量って祝うという意味の言葉がある。馬舞者は、馬頭を付けた二人が、万歳【まんざい】のように、交互に抑揚をつけてせりふをやりとりするものである。鳥刺し舞は、竹棹の先に鳥もちを付けて、それを投げ上げて小鳥を捕獲した鳥刺しの様子を踊るものである。
 京太郎は、かつて家々を回りながら、祝福芸や念仏、人形芝居などを演じた人びと、また、その芸能のことである。一八世紀初頭の琉球王朝が編纂した史料に、京太郎は、京都から来た人が教えたのか、あるいは京太郎という人がその芸を作ったので、そのように呼ばれるのかわからないと記録されている。また組踊の演目に、父の仇を討つために、兄弟が京太郎に扮して仇に近づく場面がある。琉球王朝時代、首里の郊外に京太郎の演じ手たちが居住していた地区があったとされるが、明治以降、家々を回る形では徐々に行われなくなった。その後、那覇で行われた芝居に京太郎の芸能を取り入れたものがあり、泡瀬の京太郎は、その芝居の役者から教わって、明治三十九年に地区の人びとが、地区の祝い事の場で初めて演じ、現在にまで伝承してきたものである。

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キーワード

演じる / / 舞う / 演目

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