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箕谷古墳群

みいだにこふんぐん

概要

箕谷古墳群

みいだにこふんぐん

古墳 / 近畿 / 兵庫県

兵庫県

養父市八鹿町小山

指定年月日:19921218
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

箕谷古墳群の所在する養父郡八鹿町は、兵庫県の北部、但馬地方のほぼ中央に位置する。八鹿町の町界はほとんどが山地であり、氷の山(標高一五一〇メートル)を源とする八木川と妙見山(標高一一四二メートル)を源とする小佐川が、西から東へ町内を横断し、町の東部を縦断している但馬地方最大の河川である円山川に合流している。箕谷古墳群は、八木川下流域左岸に位置する丘陵上に所在し、標高八三から九三メートルを測る緩斜面に立地している。この丘陵一帯に八鹿町工業団地が計画され、八鹿町教育委員会がこの古墳群の発掘調査を実施したのは、昭和五十八年のことであった。この調査によって、二号墳から「戊辰年五月(中)」の銘文を有する鉄刀が発見され、箕谷古墳群は一躍全国的に著名なものとなったのである。
 箕谷古墳群は、四基の小円墳(二〜五号墳で、一号墳はこれらと離れて独立している)からなる。いずれも後世の削平をうけており、内部主体である横穴式石室が露出していた。墳丘と石室の規模は、二号墳では墳丘が東西一二メートル、南北一四メートルで石室の全長が八・六メートル、三号墳では墳丘が東西九・五メートル、南北一三・五メートルで石室が九・二メートル、四号墳では墳丘が径七メートルで、石室が三・六メートル、五号墳では墳丘が径六メートルで石室が三メートルとなっている。これらの横穴式石室は、いずれも南に開口しており、無袖式のものである。なお、三号墳では、横穴式石室をとりかこむように三重の列石が巡らされており、他の三墳とは異なる墳丘構造であったことが明らかにされている。
 各古墳から出土した遺物により、二号墳の築造年代は六世紀末から七世紀初め、三・四号墳は七世紀中頃、五号墳は七世紀後半と考えられている。その中で、二号墳のみは七世紀中頃までに、少なくとも二回の追葬のあったことが明らかにされており、出土遺物の種類や量が他に比して多いことが注目される。
 箕谷古墳群出土の遺物の中で最も重要なものは、二号墳から出土した戊辰年銘大刀である。この大刀は、追葬時の副葬品と考えられており、銘文の面を下にした状態で、奥壁に平行しておかれていた。茎は欠失しているが、残存長は六八・八センチメートル、刀身長は六五センチメートルである。刀身は反りのない直刀で、鎬のない平造り、切先はカマス形切先の形を示している。基部の茎に近い棟寄りに、「戊辰年五月(中)」の銅象嵌銘がある。戊辰年は、大刀の形状や伴出した須恵器の形式から、推古十六年(六〇八)にあてるのが最も有力と考えられている。
 戊辰年銘大刀は、埼玉県稲荷山古墳出土の辛亥年銘鉄剣とともに、わが国における古墳時代の刀剣類の編年的研究に欠くことのできぬものである。さらに、これらは古墳時代そのものの絶対年代を決定する上で、極めて高い学術的評価を有するものである。したがって、戊辰年銘大刀を出土した箕谷古墳群は、古墳時代を解明する上で不可欠のものであり、これを史跡に指定してその保存を図ろうとするものである。

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キーワード

/ 石室 / 古墳 / メートル

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