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植山古墳

うえやまこふん

概要

植山古墳

うえやまこふん

古墳 / 近畿 / 奈良県

奈良県

橿原市五条野町

指定年月日:20020319
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

植山古墳は,奈良盆地南端の甘橿丘から伸びる丘陵の西端に位置する,東西約40m,南北の現存長約27mの大型方墳である。植山古墳の西約500mには,大型前方後円墳である史跡丸山古墳,また南東約700mには史跡菖蒲池古墳が位置するなど,周辺は6世紀から7世紀の有力古墳が集中する地域である。平成12年度の橿原市教育委員会による範囲・内容確認調査により,古墳の内容が判明した。
 古墳は丘陵の南斜面を掘削して窪地を造り出し,そこに封土を積み上げて築造し,北辺と東西辺に周壕が巡る。周壕の底には,幅約1m,厚さ約0.6mの石敷きが施されている。主体部は,東西に並ぶ2基の大型横穴式石室で,いずれも南に開口する。両石室とも上面は盗掘により破壊され,天井石と壁上部の積石が取り去られている。東石室は花崗岩を3段以上積み上げた両袖式の石室で,全長約13m,玄室長約6.5m,玄室幅約3.2mである。玄室内に阿蘇溶結凝灰岩製の刳り抜き式家形石棺が置かれる。西石室も花崗岩を用いた両袖式の石室である。全長約13m,玄室長約5.2m,玄室幅約2.5mで,主軸が墳丘の主軸よりやや西に偏る。玄門部の床には,扉を設置する軸穴を持つ閾石が置かれ,石製の扉で開閉されていたと考えられる。石室の特徴,墳丘と石室との切り合い関係から,これらの石室には築造に時期差があり,東石室は6世紀末に築造され,その後西石室が7世紀初頭に追加されたと考えられる。石室の南側は,地山の削り出しと置き土による整地を行い,2段の平坦なテラス面を造り出している。
 また,周壕の北には古墳を区画するように掘立柱列(塀あるいは柵)が置かれ,古墳の南西部でも掘立柱列2条と東西建物1棟が検出された。これらのうち方位に沿う建物や柱列は,藤原京期のものと考えられる。明らかに古墳を意識して設置されており,本古墳を囲み区画する施設の可能性が高い。
 植山古墳は,墳丘の築造法・形状,2基の主体部など,6世紀末から7世紀前半の飛鳥地域の古墳の特徴を典型的に示し,かつ規模と内容が傑出した古墳の一つである。『日本書紀』『古事記』などの記述との比較から推古天皇と竹田皇子の合葬陵墓とする考えもある。推古朝の有力者の墓であることは確実であり,天武・持統朝までその存在が重要視されていたことも考えられる。当時の政治・社会を考える上で重要であり,日本古代史を考える上で欠くことのできない古墳である。よって史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。

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キーワード

石室 / 墳丘 / 玄室 / 古墳

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