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大内義隆寄進状

おおうちよしたかきしんじょう

概要

大内義隆寄進状

おおうちよしたかきしんじょう

文書・書籍 / 室町 / 山口県

大内義隆  (1507~1551)

おおうちよしたか

山口県

天文19年12月18日/1550年

紙本・墨書・掛幅

本紙縦33.6、横44.9(cm)

1幅

山口県萩市大字堀内355番地

善福寺(萩博物館保管)

萩という地名が表記されたものとしては現存最古の文書。大内義隆はこの文書により、善福寺の僧元鹵桂本によって開発された萩三角州内の田地1町を安堵した。臨済宗の善福寺は永享年間(1429~40)、指月山麓に創建されたといわれ、戦国時代に元鹵桂本によって再興された。指月山麓に居館を構えていた吉見正頼は、天正16年(1588)に没して同寺に葬られたが、毛利輝元が指月に居城を築くにあたり、三角州東南の川島に移された。

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キーワード

/ 毛利 / 山口 / 大内

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