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仏法寺跡

ぶっぽうじあと

概要

仏法寺跡

ぶっぽうじあと

社寺跡又は旧境内 / 関東 / 神奈川県

神奈川県

鎌倉市

指定年月日:20060728
管理団体名:鎌倉市(平19・1・17)

史跡名勝天然記念物

 仏法寺跡は、神奈川県南東部に位置し、鎌倉市中央部の西側山稜部に所在する、西大寺流律宗極楽寺の13世紀後半から17世紀中頃の有力末寺の寺院跡である。北西側は谷を挟んで極楽寺に続き、北側には極楽寺坂が通っている。極楽寺忍性は13世紀後半に極楽寺坂を開削し、仏法寺に住して請雨法を修したと伝えられている。仏法寺跡の山稜は、地元では霊鷲山、霊山と呼ばれており、江戸前期頃の「極楽寺境内絵図」には霊山の山頂付近に仏法寺と請雨池が描かれている。元弘3年(1333)の鎌倉攻め関係史料には「鎌倉霊山寺」とあり、一帯は激戦地の一つであった。鎌倉市教育委員会の発掘調査により、山頂部付近で葬地、供養遺構を、平場で礎石建物堂舎跡、池跡等を検出した。13世紀後半から16世紀のかわらけ、陶磁器、石塔類、火葬骨等が出土し、池跡からは柿経等も出土した。極楽寺の寺伝では、明暦3年(1657)に仏法寺の建物を移築して極楽寺の方丈にしたという。仏法寺跡は、鎌倉幕府、北条氏の支援のもとで陸上・海上交通を支配した極楽寺の有力末寺の寺院跡で、元弘の鎌倉攻めの激戦地の一つでもあり、都市周縁部の葬送、供養関係の遺構も良好に残されており、我が国の歴史を考える上で重要である。
















































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