辟邪絵 へきじゃえ

日本画 / 奈良県 

平安~鎌倉時代 12世紀
紙本 著色 掛幅
5幅
国宝

 もと絵巻であったものが戦後分断され掛幅装となる。益田家本地獄草紙乙巻と呼ばれてきたが、内容は中国で信仰されてきた疫鬼を懲らしめ退散させる善神を表した辟邪絵であることが明らかである。天刑星、栴檀乾闥婆、神虫、鍾馗、毘沙門天の各図が描かれる。天刑星は文字通り天刑を与える星、陰陽道の鬼神である。わが国では密教修法にもとり入れられた。ここでは牛頭天王(京洛の祇園社の祭神。古い時代には、疫神、平安末期には辟邪神)をつかんで食らう。栴檀乾闥婆ははじめインドの音楽神、八部衆の一。『法華経』普門品にいう観音三十三身の一でもある。また童子を十五悪神の危害から守護する神格として信仰を集めた。密教の「童子経曼荼羅」では本図と近い像容に表される。神虫は蠶の美称、善神として早くからその霊異が知られている。図は蛾の姿をイメージしたものであろう。鍾馗は唐の玄宗を悪鬼から守ったとの説話を生んだ中国の辟邪神。その姿は破帽藍袍に朝靴の姿という。毘沙門天はここでは、『法華経』持経者を守護する善神として現れる。こうした弓を持つ毘沙門天像は唐宋代に作例が知られる。
 以上のようなきわめて珍しい図像を集めたこの絵巻の図像的淵源は南都と強い関係があり、さらに平安時代を通して宮中で修された仏名会に用いられた「地獄變御屏風」とも何らかの関わりがあると推測される。他の地獄草紙などと一連の六道絵巻として、後白河法王のころに制作され、蓮華王院宝蔵に蔵されていたものと推測される。とくにこの辟邪絵と東京国立博物館本地獄草紙・福岡市美術館本勘当の鬼図の詞書を同筆と見る説があるのは注目される。
 なお、各々の詞書きには、各辟邪神の働きが簡便に説明される。

奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, pp.317-318, no.172.

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