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須曽蝦夷穴古墳

すそえぞあなこふん

概要

須曽蝦夷穴古墳

すそえぞあなこふん

古墳 / 中部 / 石川県

石川県

七尾市能登島須曽町

指定年月日:19810127
管理団体名:七尾市(昭56・3・24)

史跡名勝天然記念物

 能登半島中央東部の七尾湾内に能登島とよばれる島がある。須曽蝦夷穴古墳は、この能登島南部の須曽集落背後の山中にある標高約80メートルの丘陵尾根上に位置する。この古墳の付近には、これまで他に古墳は発見されておらず、孤立的な存在となっている。
 古墳は、一辺25メートル、高さ4.5メートルの方形墳で、方位を南北方向にそろえている。内部主体は海に向って南に入口を開けた横穴式石室が2基設けられ、両者は正しく並行しており、古墳築造時に計画的に構築されたと考えられる。
 2基ある石室のうち、東側が雄穴、西側が雌穴と呼ばれ、両者とも古くから開口され、雄穴は羨道部の一部が、雌穴は羨道部と玄室の一部が既に崩壊している。本古墳の特色はこの石室の構築法にあり、両者ともいわゆる磚槨式石室であり、平面形も雄穴はT字型、雌穴は逆L字型という通常見られない形を示している。石室の構築法は、両者とも同じで、石材は能登島産の玄武質岩板石を用いている。側壁最下段は大ぶりの板石を縦方向に用い、その上に板石を小口積にしている。天井は、四壁が内側にせり出し、隅部はいわゆる三角状持ち送り式に近い手法を用い、1枚の天井石を載せている。底面は大半が抜き去られているが板石を敷きつめたと考えられる。また、羨道部中ほどの底面には、板石を縦に用いた間仕切様の施設が設けられ、雌穴では玄室と羨道との境にも同様なものがある。
 古くから開口していた故か、玄室からの出土品は不明であるが、昭和27・28年の調査の際、雄穴羨道部から鉄鏃・刀子・須恵器・土師器、雌穴羨道部から直刀・鉄鏃・須恵器が発見された。これらの出土遺物から、本古墳の築造年代は7世紀中頃と考えられ、北陸地方における横穴式石室墳の末期に造営されたものといえよう。
 本古墳の特色は、平面形がT字型あるいは逆L字型の磚槨式横穴式石室を有するという点にあり、このような古墳は北陸地方、または中部地方にはまったく見当らないものである。
 同形式同時代の古墳としては、これまで知られているものに奈良県桜井市忍坂9号墳があり、何らかの関連があったと考えられるが、詳細は不明である。本古墳の位置が能登島という北陸地方の日本海沿岸の小島であることと北陸を含む中部地方における唯一例であることを考えれは、朝鮮半島とこの地との間に何らかの文化交流があったのかもしれない。

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