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木造十一面観音立像

もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう

概要

木造十一面観音立像

もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう

彫刻 / / 関東 / 東京都

東京都

1躯

東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9

重文指定年月日:20001204
国宝指定年月日:
登録年月日:

独立行政法人国立文化財機構

国宝・重要文化財(美術品)

 奈良県多武峯に伝来したとされる十一面観音像で、明治にフェノロサが購入し、その後東京美術学校、帝室博物館の保管になった。
 頭部の地髪部上半に鉢状の被物をつけ、被物上に九面(現状、菩薩面二、瞋怒面一、牙上出面五〈面相は慈悲相〉。背面一面欠失。)および正面に化仏坐像(拱手)を配す。正面を向き、左手は屈臂して水瓶を執り、右手は肘を軽く曲げて垂下させ、掌を内に向け、数珠を手首に掛け、第一・二指で数珠をつまみ、腰をわずかに左に捻り、右膝を軽く曲げ前に出して立つ。著衣は、僧祇支、裙、天衣を各着ける。
 頭上面から化仏、瓔珞、天衣の大部分、足〓に至るまでの全容を白檀と推定される一材から彫出する。表面を薄く褐色に染めるという典型的な檀像彫刻で、現状、頂上面が後補にかわっているものの像高一尺三寸七分を測り、法量、用材等からみて十一面神呪経に説く「白栴檀、一磔(〓)手半(一尺三寸)」に従っての造像とみなされる。
 上半身に僧祗支を着し、にぎやかな装身具をまとう形式や、頭部や手足を大きめとし、腹部を突き出して立つ表現は古様で、中国北周・隋代の特徴が顕著にうかがえる。しかし堺市博物館観音菩薩像(重文)のような隋風の像に比べれば、本像のような両肘をやや広げ、三屈法に則り変化を持たせた姿態は隋代彫刻にはみられない表現である。さらに瓔珞を本躰と共木で彫出し、その上、意図的に本躰との間を離す入念な彫法は養老三年(七一九)請来とされる法隆寺九面観音像(国宝)に類似する新様で、その製作は初唐期のものと考えられる。
 しかも、本像は十一面観音造像の典拠となる諸経典の記すところに忠実に製作されているが、さらに右手に持つ数珠の表現が十一面神呪心経に説く「数珠を掛けて施無畏手とせよ」に一致することから玄奘の新訳がなされた唐の顕慶元年(六五六)以降、七世紀半ばの製作とされている。形式等の上で古様を受け継ぎながらも新様がみられる点などから檀像彫刻の特徴をうかがう上で極めて重要である。
 また、毛束が細かく、連眉式に近い眉の表現や高い鼻梁、眼窩が窪み膨らみを強調した上瞼および黒目を上瞼寄りとするなどの面貌表現は中国彫刻にはみられないもので、グプタ朝の仏像にみられるインド的な顔立ちである。中国では七世紀半ばに玄奘や王玄策がインドより帰国後、彼らが請来した仏像等がもとになってインド風の仏像が流行したが、本像の面貌表現も玄奘らが持ち帰った像をもとにして製作された可能性がある。
 現在、頂上面や左方の菩薩面(四面)、左手肘から先、天衣の一部など所々に後補の手が入っているが、当初は装身具等に至るまでの全身を同材から彫出したものと考えられ、その精緻な彫技は数ある檀像のなかでも秀逸で、法隆寺九面観音像(国宝)や神福寺十一面観音像(重文)に肩を並べる。檀像の遺例としても古例で、初期檀像としての意義は高く、教義に忠実な、製作時期の推定できる貴重な遺例としてその価値は非常に高い。

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