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石の宝殿及び竜山石採石遺跡

いしのほうでんおよびたつやまいしさいせきいせき

概要

石の宝殿及び竜山石採石遺跡

いしのほうでんおよびたつやまいしさいせきいせき

史跡 / 明治 / 大正 / 安土・桃山 / 江戸 / 古墳 / 飛鳥 / 奈良 / 平安 / 室町 / 鎌倉 / 南北朝 / 近畿 / 兵庫県

兵庫県

古墳末〜近代

兵庫県高砂市

指定年月日:20141006
管理団体名:高砂市(平27・3・11)

史跡名勝天然記念物

兵庫県の瀬戸内海に注ぐ加古川(かこがわ)西岸河口近くの竜山石と呼ばれる凝灰岩(ぎょうかいがん)からなる,古墳時代から現代に至るまでの採石遺跡。
ここには,石の宝殿と呼ばれる竜山石の岩盤を掘り込んだ遺構がある。幅約6.5m,高さ約5.6m,奥行約5.6mの直方体で,後面に突起部が付き重量は推定465トンで,7世紀の横(よこ)口式(ぐちしき)石槨(せっかく)を製作しようとした跡との説が有力である。現在,石の宝殿は生石(おうしこ)神社の御神体となっている。12世紀の文献では,「生石(おうしこの)大神(おおかみ)」と記されて人知の及ばないものとして信仰の対象となり,近世には延べ140名の西国大名らが参詣し,シーボルトが著書『日本』にスケッチを掲載している。
竜山石の採石は古墳時代に始まり,前期古墳の石室材,中期には巨大古墳に採用された長持形(ながもちがた)石棺(せっかん)の石材,後・終末期には家形石棺の石材となった。古代には京都府恭(く)仁宮(にきゅう)の礎石(そせき)建物(たてもの),中世では石塔,板碑(いたび),石仏などの石造物に,近世には木造建築物の基礎石や,墓標・道標・鳥居などの石材となった。
竜山石は古墳時代から現代まで採石活動が行われており,なかでも石の宝殿は7世紀の採石技術を知る上で希少な遺構で,中世までには生石神社が創られ,信仰の対象となり,現代に至る稀有な例でもある。しかも,採石活動は時代ごとに用途や流通の範囲を変えながら生産・加工され,採石技術の変遷と流通の変化を知る上でも重要である。

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