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坊津

ぼうのつ

概要

坊津

ぼうのつ

名勝 / 九州 / 鹿児島県

鹿児島県

南さつま市坊津町

指定年月日:20010129
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

坊津の地域は薩摩半島の西南隅に当たり、解析谷が沈水して多くの湾や樹枝状の入江、大小の島嶼や岩礁などが発達した顕著なリアス式海岸を形成している。それらの内湾のうち、坊浦や泊浦は古くから遣唐使船の寄港地として有名で、その北側に位置する秋目浦は鑑真和上が上陸した場所としても名を馳せた。
 しかし、坊津が海岸の美しい景勝地として注目されるようになるのは、16世紀も末期のことである。豊臣秀吉と対立して、文禄3年(1594)に坊津に配流された近衛信輔は、坊津海岸の八つの景勝地からなる「坊津八景」を選んで和歌を詠んでいる。天保14年(1843)に薩摩藩主島津斉興が五代秀尭を総裁として橋口兼柄らに命じて編纂した『三国名勝図会』によると、近衛信輔が選んだ「坊津八景」の詩題とは、「中島晴嵐」「深浦夜雨」「松山晩鐘」「亀浦帰帆」「鶴崎暮雪」「網代夕照」「御崎秋月」「田代落雁」であったことがわかる。地頭館などの集落地に近く海に向かって突き出た「中島」、その内側の入江で船の係留地として使われていた「深浦」、坊浦に嘴のように岩礁が細く突き出た「鶴ヶ崎」、松山寺と呼ぶ禅寺の存在した「松山」、寺ヶ崎と硯石鼻に挟まれた小湾である「亀浦」、「網代」の浜から双剣石などを経て鵜ノ島に至る岩礁群、坊岬突端の円形の洞孔が開く「御崎」、坊岬東海岸の入江に水田が展開する「田代」の8箇所を舞台として、それぞれにまつわる独特の風物や気象現象とともに挿図に描き分けている。
 とりわけ、双剣石は雌雄二石からなり、大きい方の石は「高さ十五間、周回二十間」、小さい方の石は「高さ十二間、周回六七間」あって、両剣を立てるがごとく屹立していたことが記されている。御崎の円形洞孔のある岩礁の周辺には、当時、アシカなどの海獣が群遊し、岩礁に上って睡眠したことなども記されていて興味深い。
 また、双剣石と御崎の円形洞孔は、歌川広重(1797〜1858)が晩年に製作した『六十余州名所図会』に収める「薩摩、坊ノ浦、双剣石」にも主景として描かれている。
 このように、坊津は近世を通じて薩摩地方独特の海岸風景として喧伝され、名勝地誌などの記録や絵画作品などにも好んで描かれたのであった。現在も双剣石を中心として、それらの文化的背景を有する風景の価値は極めて高く継承されており、よって名勝に指定し、保護を図ろうとするものである。

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キーワード

瀟湘 / 帰帆 / / 八景

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