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矢ノ浦経塚出土遺物

やのうらきょうづかしゅつどいぶつ

概要

矢ノ浦経塚出土遺物

やのうらきょうづかしゅつどいぶつ

その他 / 平安 / 佐賀県

平安時代末期

一括

佐賀県武雄市武雄町大字武雄5304-1 武雄市図書館・歴史資料館

武雄市

佐賀県重要文化財

 県史跡矢ノ浦古墳(前方後円墳)の後円部及びその西方に所在していた円墳を利用して造られた経塚から出土した陶製経筒などがある。経塚は、末法思想が流行した平安時代末期に、全国的に造られた。末法思想とは、釈迦が入滅したあと1500年後に仏法が一万年衰滅するという考え方で、その後に仏教の教えを伝えようと、経筒の中に経典を入れて塚に納めたものが経塚である。
 【1号経筒】県史跡矢ノ浦古墳の西方100m地点に築造された円墳を利用した経塚で、経筒は岩盤をくりぬいて納められ、周囲には木炭が充填圧された状態で発見された。これは、経筒の内部に湿気や虫等がこないように工夫されたものである。
 経筒は陶製で、身は高さ31.4cm、口径7.0cm、底径8.9cmの長胴形をしており、肩部に2条の沈線とその下に波状の沈線がめぐらされている。蓋は高さ11.4cm、口径10.9cmで、つまみに特徴がある。身蓋ともに表面には黄緑色の灰釉が薄くかかっていたようだが、ほとんど剥落している。
 【2号経筒】県史跡矢ノ浦古墳の後円部を利用した経塚で、経筒は石囲いをして納められていた。
 経筒は褐釉の四耳壷で、高さ20.5cm、口径9.5cm、底径8.0cm、胴部最大径19.4cmと丸みをおびている。肩部に4つの耳がつき、波状の沈線がめぐっている。内外面ともに黄緑色の釉がかかっているが、外面下半は著しく剥落している。蓋は発見されておらず、石囲いの中にやや厚みのある板石が確認されているので、蓋の役目をしていたと考えられる。経筒の周囲には木炭が充填圧された状態で発見されている。
 このほか、後円部裾の小穴等から白磁の碗・青白磁の小壷・鉄刀子・鉄鏃が出土し、小壷の中には2個の巻貝が納められていた。
 これら一括の資料は12世紀代の製品で、中国宋代の輸入品と考えられ、文物交流史の一端を示すものとして重要である。

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