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平和町(旧向町)雷電神社の山車

へいわまちきゅうむかいちょうらいでんじんじゃのだし

概要

平和町(旧向町)雷電神社の山車

へいわまちきゅうむかいちょうらいでんじんじゃのだし

有形民俗文化財 / 江戸 / 関東

江戸後期

江戸型山車で重層型の鉾台をもつ。この山車の当初の姿は、江戸山王祭りの古い山車の姿である二輪で牛が曳く形式の山車とも共通する特徴を持つことが構造てきに判明している。

高覧高さ13.7尺(415.15cm)
床高5尺(151.51cm)
床幅6尺(181.81cm)
床長6.5尺(196.96cm)

1基

有形民俗文化財

本件の山車については、欄間飾りの裏面に墨書が確認され、赤外線調査の結果、「横地七右ヱ門」他約20名(組頭及び大工等)の名前が確認された。「横地七右ヱ門」は、前橋市史(第6巻)や「向町御用日記」(横地家文書 前橋市立図書館)の記録によると天保14年(1843年)から慶応3年(1867年)まで向町の名主を勤めたとされ、同じく記載されている組頭の横地兵太夫は安政元年に岩神村へ名主として異動したことが知れる。(松平記録第26巻 安政元年申寅(1854年) 12月27日の条)これらのことから墨書の町役人の面々が揃う時期は遅くも安政元年と考えられ、本件の山車の完成はそのころまでには完成していたことが推測された。また、建築の様式や改変の痕跡、欄間飾りなど細かにデータ収集を行い、年代確定、現状及び復元図面を作成する実地調査においても、本件の山車は、車体の上に床を乗せ、鉾台の形状は六角形で、鉾台を二重に重ねる点に特徴があることや、さらに当初の山車の姿は、江戸山王祭りの古い山車の姿である二輪で牛が曳く形式の山車とも共通する特徴を持つことも明らかになった。これらのことにより本件が江戸重層型の山車であり、時代的にも江戸時代のものであることが構造的にも確認された。

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