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黒楽茶碗(青山)〈道入作/〉

くろらくちゃわん(あおやま)〈どうにゅうさく〉

概要

黒楽茶碗(青山)〈道入作/〉

くろらくちゃわん(あおやま)〈どうにゅうさく〉

陶磁 / 江戸 / 近畿 / 京都府

道入

京都府

江戸

 高台脇から丸みをもって立ち上がり、口部はわずかに内に抱えた深めの茶碗で、素地は白色の陶胎、手捏ねで成形し、内外を削って薄く整形する。高台は大きく、正円形に削り出し、畳付の幅は広い。高台内に「樂」字の印をくっきりと捺している。
高台を含め光沢のある黒釉が掛けられており、胴の一面の黒釉を一部掛け外し、その部分に黄みを帯びた透明釉を塗って、黄白色の水鳥形の景色を表している。高台畳付に四つの目跡がみられる。

高8.9~8.9 口径10.7~11.4  高台径5.5 (cm)

1口

公益財団法人樂美術館 京都府京都市上京区油小路通一条下る油橋詰町87-1

重文指定年月日:20160817
国宝指定年月日:
登録年月日:

公益財団法人樂美術館

国宝・重要文化財(美術品)

 樂家は千利休(1522~91)の創意を受けて楽茶碗を創始した長次郎(?~1589)を初代とし、当代吉左衞門(1949~)で十五代を数える。道入は樂家第三代。長次郎の妻の叔父である二代常慶(?~1635)の長男にあたる。道入は法名で、存命中は吉兵衞と称し、またノンコウの俗称で知られている。樂家歴代は、一貫して手捏ね成形、内窯焼成の技法を踏襲しながら、それぞれの時代を反映した茶碗を作り続けてきた。
 長次郎、常慶までの茶碗を古楽といい、釉調に艶がなく、重厚な作行きであるのに対し、道入の代になると趣が一変する。巧みな箆使いによって器形に変化をつける手法、赤楽茶碗においては、白土の上に黄土を化粧掛けして鮮やかな赤色の発色を得る手法、ざらめきを加えて光沢を抑えた砂釉、黒楽茶碗においては、よく溶け透明感と光沢のある釉薬、黒釉を重ね掛けして幕が垂れたような表情を作り出す幕釉、黒釉を一部掛け外し、そこに黄釉を塗る黄ハゲ、むらむらと白濁した蛇蝎釉、赤紫の斑文が浮かぶ朱釉などを開発して、新たな時代に応じた斬新な装飾性を楽茶碗に取り込み、明るく軽やかな個性を茶碗の上に発揮した。長次郎と並んで、以後の樂歴代の基本的な技法は道入によって確立されたといっても過言ではない。とくに黄ハゲ釉は、十一代慶入(1817~1902)、十二代弘入(1857~1932)等が多用している。
 道入がこのような革新性を強く打ち出した背景には、作陶を個性表現に昇華させた本阿弥光悦(1558~1637)との親交があったと考えられる。光悦の養子である光瑳(1578~1637)や孫の光甫(1601~82)らによってまとめられた『本阿弥行状記』第一〇六段には、「今の吉兵衞は至りて樂の妙手なり。我等は吉兵衞に薬等の伝を譲り得て、慰めに焼く事なり。後代吉兵衞が作は重宝すべし。しかれども当時は先代よりも不如意の様子也。惣て名人は貧なるものぞかし。」とあり、光悦周辺が道入の才能を高く評価していたさまが窺える。
 この茶碗は、ゆったりとした大らかな器形、蛤端と呼ばれる薄く削り込まれた口縁、力強く正円形に削り出された高台、光沢のある黒釉、黄ハゲ釉による景色、いわゆる自樂印など、道入の黒楽茶碗の特徴をよく具えている。「青山」の銘は、加賀藩家老青山将監が所持していたことに因む。黒楽茶碗(桔梗)[個人蔵]、黒楽茶碗(霞)[個人蔵]、黒楽茶碗(香久山)[個人蔵]、黒楽茶碗(此花)[東京都・出光美術館蔵]、黒楽茶碗(今枝)[所在不明]、黒楽茶碗(善福寺)[所在不明]とともに、かつて加賀に伝来したノンコウ加賀七種の一つに数えられ、道入の黒楽茶碗の代表作である。

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キーワード

茶碗 / / 長次郎 / 高台

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