小雨ふる吉野

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日本画 

菊池芳文 (1862-1918)
キクチ、ホウブン
大正3年/1914
彩色・絹本・屏風6曲・1双
各153.7×357.0
左隻左下に落款、印章
8回文展 元東京大正博覧会美術館 1914

4
小雨ふる吉野
Fine Rain on Mt.Yoshino
1914年
絹本彩色・屏風(6曲1双) 各153.7×357.0cm
吉野山に題を得たこの作品で、菊池芳文は、桜の名手といわれたその名人芸を発揮すると同時に、その高度の芸をも感傷的に眺めるような観照の世界を、無理のない画面の構成のうちに展開させた。見る人は、まず、名手の技巧を示す左隻の満面の桜に目を向け、そのこともなげな美しさからおのずと遠い桜に目を転じつつ、右隻の、遠い桜と煙雨とのまぎれの中に開かれる画家の観照の世界へと誘(いざ)なわれていくだろう。古来、桜の名所として歌にきこえた吉野山であるが、谷ごしに遠くの桜が煙雲とまぎれる光景は、「み吉野の吉野の山の桜花 白雲とのみ見えまがひつつ」と古歌にも詠まれているように、古くからよく吉野の桜が開く観照のモティーフとなっており、芳文はこのモティーフを小雨に煙る吉野山に着想した。このモティーフによって、左から右へ、華やかな花鳥画の世界は、花と雲とがまぎれる風景のひろがりのなかで、どこかしめやかな観照へと転じていく。風景の観照には、「歌書よりも軍書に悲し吉野山」とうたわれた悲劇の舞台への歴史的感傷が漂うからである。芳文にとって吉野山の風景は、その桜ゆえに、華麗な花鳥画の舞台となる一方、その歴史ゆえに、しめやかな観照の舞台でもあった。その結果、花鳥画の華麗な技巧も、画家自身の観照のうちに、たくまざるものとなって、こともなげに漂い出ている。改まった構えのない静かな歴史的観照のうちに漂い出る消えゆくものの美しさに、四条派の最後を飾るといわれた芳文らしさがうかがえる。第8回文展出品作。

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