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書状 西洞院時慶宛 七月廿三日 「書状披見候」

しょじょう にしのとういん ときよしあて しちがつにじゅうさんにち しょじょうひけんそうろう

概要

書状 西洞院時慶宛 七月廿三日 「書状披見候」

しょじょう にしのとういん ときよしあて しちがつにじゅうさんにち しょじょうひけんそうろう

/ 江戸 / 日本

近衛 信尹  (1565-1614)

このえ のぶただ

日本

江戸時代初期/1605年9月6日

紙本墨書

35.0×49.9cm

1

広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701

海の見える杜美術館

 安土桃山時代末の公卿、三藐院と号した。左大臣に任ぜられた時、辞任して朝鮮の役に秀吉に随行渡海を強く望んだため、勅勘を受けて薩摩に流された。その覇気は書風にも表れ、上代様の和様書道を基礎としながら、初めての大字の仮名を屏風に揮毫し、筆力をあらわに見せる新しい書境を打ち出した。配流三年赦され還任。関白となった。古田織部と歌道や茶湯を楽しむ。その書は三藐院流(近衛流)と呼ぶ。
 この書状は折紙を二段書きに改めた表具。宛は平遠江守(西洞院時慶・寛永十六年没)。眼病養生肝要と記し「宣下云々」は関白就任の事で、自筆「三藐院記」には正しく慶長十年(一六〇五)七月廿三日関白宣下と記述があり、「式部少輔」は宣下儀式参仕の舟橋秀賢であることも明記され、宣下当日の筆と考えられる。花押は幼時の一字名「杉」に由来するという。寛永の三筆の一人と称されるが、慶長十九年(一六一四)に薨じている。
(『名筆へのいざない―深遠なる書の世界―』海の見える杜美術館2012 解説より)

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