村田蔵六書状〈安政四年〉 むらたぞうろくしょじょう

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文書・書籍 / 江戸 / 愛媛県 

村田蔵六(大村益次郎)
むらたぞうろく(おおむらますじろう)
安政4(1857)年
紙本墨書
1通
愛媛県西予市宇和町卯之町4-11-2

端に「安政四年丁巳夏村田蔵六書」と記されている。宛先は不明だが、宇和島藩の関係者に送ったものと思われる。村田蔵六(大村益次郎)はこの年に幕府が設置した武芸訓練機関である講武所に出仕しており、講武所に関わる情報が詳細に記されている。また、蔵六の書状では、講武所を生み出した老中阿部正弘のことも取り上げられている。阿部の官職が伊勢守だったことから、蔵六は阿部のことを「大神宮」と記している。
阿部はこの書簡が記された当時、急激に体調を崩して痩せ細っていったといわれている。書状に記されている「十六の娘」は、向島長命寺門前で桜餅を売る山本屋の看板娘おとよのことで、阿部はこのおとよを見初めて福山藩の奥に迎えたといわれている。三田村鳶魚の『御殿中女中の話』には、この話しに関連して水戸の徳川斉昭が側用人の安島弥次郎に宛てた安政4(1857)年閏5月3日付の書簡が紹介されている。そこでは、正弘の体調不良の原因の一つに、15歳の新妻を迎えて日々寵愛していることがあげられているが、年齢の違いはあるものの、内容は全く一致している。講武所に出仕するようになった蔵六が、幕閣の裏情報にまでかなり通じていたことがうかがえる。

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