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孔雀図

概要

孔雀図

東洋画(日本画を除く) / 絵画 / 日本

増山雪斎  (1754-1819)

ましやませっさい

1812(文化9)年

絹本着色

137.0×47.7

軸装 双幅

 曾我蕭白や宇田荻邨あるいは伊藤小坡と同じように、増山雪斎も三重とのかかわりが深く、三重県立美術館が力を入れて研究や収集を続けている画家のひとり。雪斎は、伊勢長島藩主であり、一方で書画や詩文、茶など幅広い分野で名を馳せた人物である。
 今回とりあげた《孔雀図》は、左幅に白孔雀と四十雀、柘榴、薔薇、右幅には雌雄の真孔雀と鶯、白木蓮、紅梅を描いた雪斎の花鳥画である。色彩やかで写実的なこの作品は、2000年新たに三重県立美術館の所蔵品に加わった。1993年に当館で開催された「増山雪斎展」の折には所在不明で出品はかなわなかったが、文化9(1812)年という制作年のわかる重要な作品であることから、雪斎展に欠かすことのできない作品として、図録に参考図版が掲載されている。
 さて、この《孔雀図》は、江戸時代の絵画会を席巻した南蘋風の花鳥画。よく知られている通り、江戸時代、絵画界の頂点に君臨していたのは狩野派である。絵を学ぶものは皆、第一に狩野派がつくりあげた絵画様式を学んでおり、狩野派様式は江戸時代絵画のスタンダードとなっていった。しかし、一方で、それ以前と比べて画家の数が増え、新しいタイプの絵画が多く生まれたのもこの時代の特徴である。長崎を通じてもたらされた中国や西洋の知識は、日本の絵画界に大きな影響を与えたが、中でも、1731年に来日した中国人画家、沈南蘋の影響ははかりしれない。すでに中国では時代遅れになりつつあった濃彩による密度の高い華やかな表現や精緻な描写は、伝統的な画法では満足できなくなっていた日本人の画家たちを魅了し、南蘋風絵画は長崎から上方、そして江戸へと広まりをみせた。雪斎による本図も、まさにこの沈南蘋の影響をうけた花鳥画で、雪斎作品の中でも特に精緻で、完成度の高い作品である。(佐藤美貴)

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