|
京都は794年から1868年にかけて天皇が居所をおいた日本の首都であり、武家政権が政治の中心を鎌倉と江戸に移した時期以外、文化・経済・政治の中心として繁栄しました。
京都は北、西、東の三方を丘陵に囲まれた盆地という地理的特徴を利用して建設された都市です。中央の平地部では、幾多の兵火に見舞われて火災が頻発し、多くの建物などが失われては再興されるという繰返しでした。しかし、周辺の山麓部は災害を免れ、起伏に富んだ自然地形を利用して建てられた大寺院や山荘・庭園がいまでも多数残されています。 平地部にも東寺や二条城などの大きな規模の記念物や各種の伝統的な住宅様式を示す町並みなどの文化遺産が、条坊制の中に残っています。8世紀に創建された東寺には、11世紀から19世紀にいたる各時代の建物が建ち並び、16世紀に建造された二条城には、広大な敷地に当時の華やかな建物が残っています。 ■賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)京都市 創建は古く7世紀末にはすでに有力な神社となり、平安時代以降は国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集めました。その後衰微しましたが、1628年(寛永5)ころに社殿が再興され、境内全体の整備が行われ、平安時代の姿が再現されました。再興後、本殿の造り替えが実施され、国宝の本殿と権殿は1863年(文久3)に再建されたものです。境内にはこのほか、寛永5年に再建されたと考えられる拝殿など34棟の重要文化財の建物が残っています。 ■賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)京都市 平安京造営にあたり国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集め、11世紀初頭にほぼ現在の構成に整えられましたが、その後、応仁・文明の乱により広大な糺の森の樹林とともにほとんどが焼亡してしまいました。しかし、1581年(天正9)に境内全体の整備が進められ、平安時代の状況に再び整えられました。賀茂別雷神杜と同様の流造りの代表である東西の本殿は、1863年(文久3)に造り替えされたもので、ほかに31棟の建物が重要文化財に指定されています。 ■教王護国寺-東寺-(きょうおうごこくじ-とうじ-)京都市 教王護国寺は、平安京造営に際し羅城門の東西に建立された2つの官寺のひとつで、823年(弘仁14)に空海に下賜され、真言密教の道場として本格的な伽藍が整えられました。桃山時代を代表する金堂は1603年(慶長8)の再建、また、1844年(寛永21)に再建された五重塔は現存する塔のなかでは高さが最大で、京都の景観のシンボルとなっています。国宝の金堂、五重塔、大師堂、蓮花門のほか、21の仏像が安置されている講堂や灌頂院、11世紀の建築である校倉造りの宝蔵など9棟1基の重要文化財を有しています。 ■清水寺(きよみずでら)京都市 778年(宝亀9)に僧延鎮が音羽の滝上に観音を祀ったことに始まり、798年(延暦7)には坂上田村麻呂が仏殿を建立し桓武天皇の勅願寺になったと伝えられています。創建後何度も焼失し、建物の大半は17世紀前半の再建ですが、現在の伽藍構成は13世紀にはすでに成立していました。伽藍の中心となる国宝の本堂は、1633年(寛永10)に再建された懸造りの建物で、「清水の舞台」として有名です。国宝、重要文化財である11棟の建物のほか、境内の東寄りに江戸時代初期の借景の技法を用いた名勝成就院庭園があります。 ■醍醐寺(だいごじ)京都市 伽藍は山上と西麓の平地に分かれ、山上伽藍は874年(貞観16)に、平地伽藍は904年(延喜4)に整備が始められたと伝えられています。その後何度も火災にあい、16世紀末から17世紀初頭にかけて現在みられる姿に復興されました。951年(天暦5)に建立された五重塔は、年代が明らかな建物のなかでは京都に現存する最古のもので、初層内部に両界曼陀羅を描き密教寺院としての特色をみせています。現在、国宝である山上伽藍の薬師堂、清瀧宮拝殿、平地伽藍の五重塔、金堂、三宝院の殿堂表書院、唐門、特別史跡特別名勝である三宝院庭園のほか、9棟1基の建物が重要文化財に指定されています。 ■仁和寺(にんなじ)京都市 888年(仁和4)字多天皇の勅願寺として建立され、以降皇子・皇孫が門跡を努めたことから門跡寺院の筆頭、また「御室御所」と称されています。応仁・文明の乱により全伽藍を焼失しましたが、1641~1644年(寛永18~正保元)に当時の御所の紫宸殿と常御殿を移築し再興されています。また、清涼殿の古材を用いて御影堂が造営されたほか、二王門・中門・五重塔など境内の整備が進められ、現在見られる主な伽藍ができています。 ■高山寺(こうざんじ)京都市 774年(宝亀5)に開創された寺を、13世紀初頭に明恵上人が中興して高山寺と改称したことに始まります。中興当初、金堂、阿弥陀堂、十三重塔などが建ち並んでいましたが、中世戦乱期に荒廃し、1634年(寛永11)に再興されました。国宝石水院は、明恵上人時代の唯一の遺構で、13世紀前半に建てられた住宅風建築や庇を縋破風で処理する手法などの細部意匠に鎌倉時代の特色が見られます。 ■西芳寺(さいほうじ)京都市 天平年間(729~749)に僧行基が開いたと伝えられ、その後1339(暦応2)に夢窓疎石が禅宗寺院として復興したものです。復興当初は、平地部に二層の楼閣を持つ瑠璃殿をはじめとする庭園建築と花木に彩られた池庭を、また山腹には洪隠山と呼ばれる枯山水石組と座禅堂指東庵を配し、華やかな風景を示していました。1469年(文明元)、兵火により建物は失われましたが、庭園は夢窓疎石が整備した地割と石組が苔に覆われながら保持されており、現在でも名園と評価されています。 ■天龍寺(てんりゅうじ)京都市 1255年(建長7)に造営された離宮を、1339年(暦応2)に禅寺へ改めたものです。当初は三門、仏殿、法堂、方丈が直線上に並び、典型的な禅宗寺院の伽藍に整えられていました。度々の兵火により主要な伽藍は失われましたが、夢窓疎石が携わった庭園は残り、当時の趣を伝えています。この庭園は、天龍寺庭園として、特別名勝に指定されています。 ■鹿苑寺(ろくおんじ)京都市 鎌倉時代に造られた貴族の別荘を足利義満が1397年(応永4)に譲り受け、別邸北山殿に造り替えたもので、義満死後1422年(応永29)に夢窓疎石を開山とする禅宗鹿苑寺とされたことに始まります。庭園は、衣笠山を借景とし、池にさまざまな名石を据え、池に向かって三層の豪華な舎利殿金閣を建て、山上に展望所を設けています。この庭園は、鹿苑寺庭園として、特別史跡特別名勝に指定されています。なお、1950年(昭和25)の火災で金閣は焼失しましたが、1955年(昭和30)に復元的な再建が成されました。 ■慈照寺(じしょうじ)京都市 足利義政が1482年(文明14)に造営した別邸東山殿を、義政死後に改めたものです。西芳寺をモデルとする東山殿は、池を囲むように国宝である銀閣、東求堂などが配されています。銀閣は1489年(長享3)に建てられた二層の楼閣で、下層は和様の書院風、上層は禅宗様の仏堂風になっています。また庭園は、1615年(元和元)に改修されたと考えられますが、東山文化を代表する名園として特別史跡特別名勝に指定されています。 ■龍安寺(りょうあんじ)京都市 貴族の別荘の地を1450年(宝徳2)に禅寺としたもので、1488年(長享2)に方丈が復興されて諸堂が整備されました。現在の方丈は、1606年(慶長11)に造営された西源院方丈を移築したものです。方丈の南側には特別名勝に指定されている龍安寺方丈庭園が広がります。東・南・西面を築地塀で囲まれた矩形の石庭で、白砂敷のなかに5群15個の石組が配されています。15世紀中期には造られていたと考えられ、自然を狭い空間に凝縮して抽象化した様子を表現する枯山水庭園は世界的にも有名です。 ■本願寺(ほんがんじ)京都市 浄土真宗本願寺派の本山で、1633年(寛永10)ころにはほぼ現在に近い姿に整えられました。その後、1657年(明暦3)に黒書院、17世紀末に南能舞台、1760年(宝暦11)に本堂が再建され、桃山期から江戸期を代表する建物や庭園が今日にまで多く残されています。 以上のほかに、 二条城、延暦寺、平等院、宇治上神社が、世界遺産に登録されています。
|
![]() 清水寺
![]() 慈照寺
![]() 天龍寺庭園
![]() 龍安寺庭園
|
|||||||||||||||||||||||||