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世界遺産と無形文化遺産

琉球王国のグスク及び関連遺産群 (世界遺産登録年:2000年)


識名園
琉球列島は日本列島南端に位置します。14世紀中頃には三王国が分立していましたが、15世紀前半にこれらを統一して琉球王国が成立しました。中国・朝鮮・日本・東南アジア諸国との広域の交易を経済的な基盤とし、当時の日本の文化とは異なった国際色豊かな独特の文化が形成されました。その特色を如実に反映している文化遺産が城(グスク)です。

今帰仁城・座喜味城・勝連城・中城城は、いずれも三国鼎立期から琉球王国成立期にかけて築かれた城であり、首里城は琉球王がその居所と統治機関を設置するために築いたものです。これらの城壁は、主として珊瑚石灰岩により造営されており、曲面を多用した琉球独自の特色を備えています。さらに、王室関係の遺跡として円覚寺跡、玉陵、識名園(別邸)が残り、王国文化をうかがうことができます。

■今帰仁城跡(なきじんじょうあと)今帰仁村
標高100メートルの古期石灰岩丘陵に築かれた三山鼎立時の北山王統の居城です。築城は13世紀末頃に始まり、14世紀前半~15世紀初期にほぼ現在の形に整備されたとされます。グスクは6つの郭から成り、総長1500メートルにも及ぶ城壁は、地形を巧みに利用しながら野面積みで屏風状に築かれています。 城内には、基壇構築による建物遺構や琉球の神話と関係の深いグスクの守護神を祀った御嶽があります。難攻不落の城(グスク)でしたが、部下の謀反などもあり、1416年に首里城を拠点とする中山軍によって滅ぼされました。落城後は、王府から派遣された北山監守の居城となり、監守制度は1665年まで続きました。

■座喜味城跡(ざきみじょうあと)読谷村
中山軍の今帰仁城攻略に参加した有力按司の護佐丸によって15世紀前期に築かれたグスクです。国王の居城である首里城と緊密な連携を図るという防衛上の必要性から、首里城より眺望可能な丘陵上に立地し、北山が滅びた後も沖縄本島西海岸一帯に残存していた旧北山勢力を監視するという役目を担っていました。 グスクは、2つの郭からなり、城壁は琉球石灰岩を用いて屏風状に築かれています。追手門と内郭の石造拱門は、現存する沖縄最古のアーチ門の一つと称されています。グスク内に建物遺構やグスクの守護神などを祀った拝所があります。

■中城城跡(なかぐすくじょうあと)中城村、北中城村
勝連城主である阿麻和利を牽制するために、王命によって座喜味城から移ってきた護佐丸が15世紀中期に整備した城(グスク)です。琉球王国の王権が安定化していく過程で重要な役割を果たした当該グスクは6つの郭からなり、県内でも城壁が良く残る城(グスク)の一つです。 城壁は、琉球石灰岩の切石を使用し、地形を巧みに利用しながら曲線状に築かれ、櫓門や石造拱門の城門があります。1853年に来琉したアメリカのペリー艦隊の探検隊がその築城技術を高く評価したことが文献や絵画に残されています。

■勝連城跡(かつれんじょうあと)うるま市
琉球王国の王権の安定過程で最後まで国王に抵抗した有力按司である阿麻和利の居城です。築城は13~14世紀に遡り、眺望のきく北から西、さらに南側は険阻な断崖を呈した地形を利用して築城されています。城主の阿麻和利は、1458年に中城城の護佐丸を滅ぼした後、王権奪取を目指して国王の居城である首里城を攻めますが、逆に滅ぼされました。 城内には建物跡、固有信仰の「火の神」を祀った聖域のほかに、最上段の郭一本丸一には玉ノミウヂ御嶽と称される円柱状に加工された霊石があり、信仰の対象となっています。

■首里城跡(しゅりじょうあと)那覇市
那覇港を眼下にした丘陵上に地形を巧みに利用して築城されたグスクです。三山鼎立時には中山国王の居城で、1429年に琉球王国が成立した後は、1879年まで琉球王国の居城として王国の政治・経済・文化の中心的役割を果たしました。これまでの発掘調査などの成果から、14世紀中葉から後半の築城であることが判明しています。 グスクは内郭と外郭からなり、正殿や南殿、北殿などの中心的建物群は内郭に配されています。正殿は琉球独特の宮殿建築で、戦前は国宝に指定されていましたが、第二次世界大戦で焼失し、平成4年に復元されました。正殿前の御庭は、冊封をはじめとした国の重要な儀式が行われた場所です。

■玉陵(たまうどぅん)那覇市
1501年頃に第二尚氏王統の陵墓として造営されました。国王が祖先崇拝信仰を国内統治に利用するために、墓を造ったと推測されています。前面にレリーフが施された高欄がめぐり、墓室は三室に分かれ、中室には洗骨前の遺骸、東室には洗骨後の王と王妃を安置、西室は王族などを納骨するなど各室ごとに機能が異なっています。 墓庭は、ほぼ中央部で東西に二分され、清めのためのサンゴ片が敷かれています。16世紀初頭の琉球地方において確立された独自の石造建物の意匠を示す貴重な事例です。

■識名園(しきなえん)那覇市
王家別邸の庭園として1799年に築庭されました。王族の保養の場としてだけなく、中国皇帝の使者である冊封使を饗応する場所としても利用され、国の外交面において重要な役割を果たしました。庭の地割には日本庭園の影響が、池の小島に架かる石橋や六角堂と称される建物の意匠には中国の影響が各々見られますが、全体的には琉球独自の構成や意匠を主体としています。 池の水源である育徳泉には、冊封正使・趙文楷の筆になる二つの石碑が建っています。第二次世界大戦で甚大な被害を被りましたが、遺構調査に基づいた綿密な保存修理などによって平成8年度に甦りました。

■園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)那覇市
1519年に創建された石造の門です。日本、中国の両様式を取り入れた琉球独特の石造建物で、木製の門扉以外は全て木造建物を模した石造となっています。この石門も第二次世界対大戦で破壊されましたが、昭和30~32年に保存修理されました。 門背後の樹林地が御嶽と呼ばれる聖域で、国王が国内を巡幸する際の安全や、「御新下り」の儀式をするために斎場御嶽へ出かける際の祈願を行った場所でした。現在でもこの御嶽には多くの人が参拝に訪れています。

■斎場御嶽(せーふぁうたき)知念村
王国最高位の女神官である聞得大君の就任儀式「御新下り」が行われた格式の高い御嶽です。中央集権的な王権を信仰面、精神面から支える国家的な祭祀の場として重要な役割を果たしただけでなく、琉球の開閥神「アマミク」が創設した御嶽の一つといわれています。 御嶽の創設年は判然としませんが、記録などによると、15世紀前半には国王がこの御嶽に巡幸しています。御嶽内は、様々な形状をした奇岩や樹林地となっており、神々しい雰囲気が醸し出していて、大庫理、寄満、三庫理、チョウノハナという拝所があります。これらの語源は明らかでないものの、大庫理、寄満、三庫理は同様の名称が首里城正殿内に存在することから、首里城、すなわち王権と深い関わりがあったことは明らかです。 戦前までは、男子禁制であった聖地ですが、現在では老若男女問わず、多くの人が参拝に訪れています。琉球地方に確立された独自の自然観に基づく信仰形態を表す顕著な事例です。

記載物件名 琉球王国のグスク及び関連遺産群
具体的な物件 今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、
首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽
所在地 沖縄県国頭郡今帰仁村、中頭郡読谷村・北中城村・中城村、うるま市、那覇市、南城市
推薦年月 11年
記載年月 12年12月
区分 文化
写真提供 沖縄県教育庁
今帰仁城跡
今帰仁城跡
園比屋武御嶽石門
園比屋武御嶽石門
中城城跡
中城城跡
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