常磐津節は浄瑠璃の一流派で、元文四年(一七三九)宮古路豊後掾【みやこじぶんごのじよう】の語る浄瑠璃が風紀を乱すとの理由で弾圧されたので、その高弟宮古路文字【もじ】太夫が延享四年(一七四七)に常磐津文字太夫と改名し、一派を開いたときより始まる。以後、歌舞伎音楽として発達し、以後、太夫・三味線のいずれにも後継者に優れた人を得、時代時代の好尚に適合する曲風が作られ、音楽として洗錬され今日に至っている。
常磐津節は豊後節系浄瑠璃の中では最も硬派な浄瑠璃で、重厚な時代物に優れ、他に比して「ことば」の部分が多い。また「間【ま】」がしっかりしており、舞踊に最も適した曲節で作曲されている。もともと歌舞伎の出語りを第一義として発達してきたが、後には歌舞伎、舞踊を離れて独立した音楽としても演奏されている。
常磐津節は我が国の芸能史上重要な地位を占めるとともに、日本音楽の中で芸術上高度な価値を有する。
常磐津節は歌舞伎、舞踊において、それぞれ演目によっては必要な音楽として演奏されており、またこれらを離れて独立した音楽としての常磐津節も広く演奏されている。これらの演奏者の中から常磐津節保存会会員選定基準により会員を選定し、これらの会員により常磐津節保存会が結成された。この常磐津節保存会会員を重要無形文化財(総合指定)常磐津節の保持者として認定するものである。