寂室元光墨蹟〈越谿字号并説(〓牋)/貞治五年仲秋月〉 じゃくしつげんこうぼくせき

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 南北朝

  • 南北朝 / 1366
  • 2幅
  • 重文指定年月日:19900629
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 退蔵寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 南北朝時代の禅僧として著名な寂室元光(一二九〇-一三六七)は約翁徳儉【やくおうとくけん】の法嗣で、元応二年(一三二〇)入元し、嘉暦元年(一三二六)帰朝、その後俗喧を離れ、備前・美作両国に韜晦し、のち康安元年(一三六一)近江守護六角崇永の招きにより永源寺開山となり、生涯山居して多くの弟子を育てた。元光はまた古林清茂【くりんせいむ】の影響をうけた偈頌の大家としても知られている。
 この双幅は晩年の元光が弟子秀格【しゆうがく】に「越谿」の称号を与えた時の字号と字説である。ともに魚二尾を配した舶載の浅葱蝋牋唐紙を用い、字号は大字で「越谿」と横書し、左右に「寂室為/秀格書」の為書がある。字説は全文二二行、首に「越谿號説」と題し、弟子秀格が若年より元光の会下に参じ、はや十二年、この間もっぱら庫務に徹しながらも泰然自若としたその姿勢を賞し、秀格の需めに応じて別称を与えるに至った経過を述べている。さらにこの「越谿」号のゆえんは晋宋より名賢才子に称えられた越州の若耶溪【じやくやけい】に因んだもので、別称に恥じることなく進修し、元光の正統を継ぐよう悟している。文末に「于〓治午仲秋月夕之後書含空臺之下」と記し、この双幅を貞治五年(一三六六)八月に住房含空台において書した次第を明らかにしている。越谿号を授けられた秀格は、のち法流を嗣いで永源寺五世となり、江州高野に退蔵寺を開き、応永二十年(一四一三)に示寂した。
 この双幅は、草体で筆勢に富んだ元光平生の書風を伝えるとともに、字号字説を完存する墨蹟として、禅宗嗣法のあり方を併せ伝えて価値が高い。

寂室元光墨蹟〈越谿字号并説(〓牋)/貞治五年仲秋月〉

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