琉球芸術調査写真〈鎌倉芳太郎撮影/〉 りゅうきゅうげいじゅつちょうさしゃしん〈かまくらよしたろうさつえい/〉

歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 大正

  • 鎌倉芳太郎
  • 沖縄県
  • 大正
  • 2119枚
  • 沖縄県那覇市首里当蔵町1-4
  • 重文指定年月日:20050609
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 公立大学法人沖縄県立芸術大学
  • 国宝・重要文化財(美術品)

本件は鎌倉芳太郎(一八九八~一九八三。染色家、沖縄文化研究家。のちの人間国宝)が、戦前に沖縄県で行った「琉球芸術調査」に関わる写真とその関連資料である。
 鎌倉の「琉球芸術調査」は、第一次が大正十三年(一九二四)五月から同十四年五月まで、第二次は大正十五年から昭和二年までと前後二回実施された。本件に主として関わるのはそのうち第一次琉球芸術調査の成果である。第一次琉球芸術調査は伊東忠太(一八六七~一九五四。建築史家、東京大学名誉教授。文化勲章受章者)との共同調査という形式をとり、財団法人啓明会からの補助金を受けて実施している。
 第一次の琉球芸術調査において鎌倉は、尚侯爵家(中城御殿)、尚男爵家(松山御殿)などにある琉球王家ゆかりの文化財をはじめ円覚寺、崇元寺や石垣島の桃林寺などの寺院や首里城、また首里や那覇の名家が所蔵する工芸品や絵画作品などを対象に積極的に写真撮影を伴う調査活動を行っている。
 撮影したガラス原板は四切判およびキャビネ判が用いられており、紙焼付もまた同サイズの印画紙を用い、それを大中小の各サイズの台紙に貼りつけている。非常に高い技術を駆使した撮影を行っており、それ自体十分高い芸術性と資料性とを併せもった作品に仕上がっている。
 被写体には、琉球絵画史を考える上で無視できない歴代国王の肖像画(御後絵)をはじめ円覚寺の壁画、また自了や殷【いん】元良などといった琉球の絵師たちの作品を現代に伝える唯一の資料となっている。鎌倉はこれらの資料をもとに、琉球文化研究では必須の書となっている『沖縄文化の遺宝』(昭和五十七年)に多用するなど積極的に紹介している。特に首里城を写した鎌倉の写真は首里城の昭和の復元に大きく寄与している。
 なお、特筆すべきは、鎌倉の調査の対象物が今次の大戦でほとんどが灰燼に帰していることで、消失文化財の記録としてきわめて貴重である。
 附【つけたり】とした鎌倉の「調査記録」は撮影対象の文化財に関する詳細な情報を含み、かつ、琉球史上重要な史料類を抄写したり、琉球方言の採録など総合的なものとなっており、これ自身多くの研究素材を提供する。
 上述のように失われた琉球文化財を後世に永く伝える意味でも、文化財の復元的な研究を試みる上でも鎌倉の資料なしには不可能であり、その重要さははかりがたいものがある。
 なお本資料は、鎌倉およびその遺族から戦後、三度にわたって沖縄県立芸術大学に寄贈されたものである。

琉球芸術調査写真〈鎌倉芳太郎撮影/〉

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