秋篠寺本堂 一棟
秋篠寺は、光仁、桓武両天皇の御願によって、宝亀十一年(七八〇)善珠の開いたところと伝えている。本堂は位置からいうと元の講堂にあたる。建立年代は明らかでないが、鎌倉時代前期と考えられる。
桁行五間、梁間四間、すなわち三間の内陣の周囲に一間通りの外陣をめぐらした平面で、壇正積の基壇上に建っている。正面は中央三間を板扉内開き、両脇の間を連子窓とし、側面は前二間を板扉、後二間を土壁にしている。組物は三斗組で、屋根は勾配の緩い寄棟造である。内部は一面の土間床で、内陣正面に三間一杯の仏壇を構えている。天井は内陣がすべて組入天井、外陣は化粧屋根裏である。以上のように、この堂は奈良時代以来の伝統を保ちながら、細部に鎌倉時代の様式を示した建築で、各部の比例もよく、この時代の代表的仏堂建築のひとつである。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)