鶴岡八幡宮、寒川神社とともに県内に3個所残る流鏑馬で、室生神社の例大祭に神事として古儀(こぎ)に基づき行われる疫病除け、除魔の悪霊(あくりょう)祓いの行事である。
起源は源頼朝の石橋山挙兵の際、土豪(どごう)の河村義秀が平家方に味方したために領地を没収され、斬刑に処されるところであったものの、鎌倉での流鏑馬の妙技により刑を免ぜられ、旧領に復帰できたという故事によるとされている。
室生神社では当社の大祭に際し、社前の道路約300mに砂を敷き詰め、的は3箇所設ける。流鏑馬が農家の人々により受け継がれていた時期もあり、かつては的の当たり矢によって翌年の稲作を占う神事としても行われた。3つの的は、一の的が早稲(わせ)、二の的が中稲(なかて)、三の的が晩稲(おくて)の出来を表していた。
流鏑馬神事は「馬場駈け」「流鏑馬開始の式」「馬場入りの儀」「垢離(こり)取りの儀」「流鏑馬始式」「騎射(きしゃ)」の順に執り行われる。そして拝殿(はいでん)前の「終了報告」により終了する。