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平行政願文〈弘安七年三月十八日/〉

たいらのゆきまさがんもん

概要

平行政願文〈弘安七年三月十八日/〉

たいらのゆきまさがんもん

その他 / 鎌倉 / 関東 / 東京都

東京都

鎌倉

1巻

東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9

重文指定年月日:19910621
国宝指定年月日:
登録年月日:

独立行政法人国立文化財機構

国宝・重要文化財(美術品)

 弘安七年(一二八四)三月十八日、平行政が、亡き祖父前周防守平政平の一三回忌の供養を行ったときの願文である。願主の行政は、『尊卑分脈』によれば、平正度の子貞衡の十代目の後裔で、佐渡守を歴任し、政平以来三重を姓とした人物として見えており、おそらくは六波羅奉行人三重氏の一族と思われる。
 体裁は巻子装で、料紙は楮紙の染紙三紙を継ぎ、彩色にて人物、樹木、花卉、月などの下絵を施して用いている。本文は一行一三字前後に暢達【ちようたつ】した書風で書写され、巻頭部分などに若干の欠失のある点は惜しまれるが、作善の後半部以下発願の趣旨を略完存し、末尾には「弘安七年三月十八日弟子平行政敬白」と供養願文作成の日付および願主行政の名がある。文中、政平の事歴などにふれ、「禅定防州前刺史」であった政平の人柄、その家系について記している。そして、政平の嫡孫である行政が若くして跡を継ぎ、政平と一五歳で結婚し六十余歳のとき未亡人となった祖母が長寿を保ち、行政とともにこの供養を行った次弟や、一族の繁栄を述べ、彼ら孫子の群族が同心し、供佛施僧の盛大な法要を営み、その利生と来世の安穏を祈っていることが知られる。
 本文の書体は、世尊寺流【せそんじりゆう】の和様で、筆者を世尊寺定成と伝えているが、定成は、世尊寺家第十代経尹の弟で、弘安年間(一二七八-一二八七)は経尹と定成の兄弟が朝廷の書き役として活躍していたことが『勘仲記』等に見える。世尊寺経尹筆と伝える西園寺実氏夫人願文(東博保管、重要文化財)とは筆跡が異なる点よりみて、この能書の手になる願文の筆者を世尊寺定成とする可能性は少なくない。本文書は、装飾料紙に世尊寺流の代表的名筆の手によって清書された供養願文として、また鎌倉時代後期における先祖供養の実態を伝えており、書道史および中世宗教史研究上に注目される。

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