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勝沼氏館跡

かつぬましやかたあと

概要

勝沼氏館跡

かつぬましやかたあと

史跡 / 中部 / 山梨県

山梨県

甲州市

指定年月日:19810528
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

 勝沼氏は武田信玄の弟信友、その子信元の家系である。その行動は『妙法寺記』『甲陽軍鑑』また石橋八幡、岩殿七社権現棟札等により知られる。勝沼氏は御親類衆として武田軍団の一翼を担っていたが永禄3年(1560)信玄により滅ぼされた。
 館は日川の断崖を利用して築かれているが、対岸を東西に往時の往還(慶長以前の甲州街道)が、また館のすぐ西を南北に鎌倉脇往還が通過、当時の交通の要衝であり、武蔵・相模方面への警固、連絡的役割を担っていた。
 館主体部は『甲斐国志』や『甲斐国古城跡志』によって御所の地に相当すること、二重の堀や太鼓櫓と呼ばれる高台のあることが早くから知られていた。また昭和45年には、古銭250枚が出土している。昭和48年県立ワインセンターの建設問題がきっかけとなり5か年にわたり山梨県教育委員会による発掘調査が行われた。その結果建物跡、門跡、水溜、溝、土塁、小鍛冶状遺構等が検出されたほか多くの遺物が出土した。遺跡は層序や溝、建物跡の重複関係によって3期にわたることが確認されている。内郭拡張の際土塁内側を削っているが、それに対応して外側に土塁を設けたことが、外側土塁下の生活面によって確認されてもいる。内郭の構造の変遷のみならず、それが館の拡大と連関して把握することができる貴重な遺跡である。
 なお、御所北西には御蔵屋敷、奥屋敷、加賀屋敷、御厩屋敷、工匠屋敷、長遠寺(信友 法名は長遠寺殿)等の地名や泉勝院(信友夫人開基)があり、広大な領域に遺構が広がっている可能性もある。
 今回は発掘調査によって城館の構造やその変遷を知る上で重要な遺構が残存していることが明らかになった内郭部御所を中心に、東に隣接する水上屋敷及び鬼門鎮護に相当する尾崎名神を指定し保存を図るものである。

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