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金銀調度類

きんぎんちょうどるい

概要

金銀調度類

きんぎんちょうどるい

工芸品 / 江戸 / 中部 / 愛知県

愛知県

江戸

徳川美術館 愛知県名古屋市東区徳川町1017

重文指定年月日:19960627
国宝指定年月日:
登録年月日:

公益財団法人徳川黎明会

国宝・重要文化財(美術品)

硯箱・手拭掛などの調度品、香盆・香炉・〓空入【たきがらいれ】・灰道具などの香道具、茶碗・釜・風呂などの茶道具、手拭掛・盆などの調度品あわせて三四種からなる金銀調度類(金器二七種、銀器七種)である。
 その技法は、金・銀で鋳造あるいは木製の素地に金・銀の薄板を着せ、蜀江文【しよつこうもん】、唐華唐草文【からはなからくさもん】、亀甲文【きつこうもん】、雷文【らいもん】など各種の文様や葵紋を、打ち出しや彫金などによってきわめて精緻に表している。
 近世初期は、金銀の産出量の飛躍的増大や権力者への財力の集中を背景とし、金銀の調度類や飲食器が盛んに製作されていたようで、豊臣秀吉の黄金の茶室をはじめ、尾張徳川家初代藩主である義直が家康より相続した一〇四点の金器や、寛永十年(一六三三)加賀前田家四代光高に嫁した徳川家光の養女亀姫が持参した一一〇件もの金銀器の例などが諸史料から知られている。しかしその現存遺例はきわめて少なく、本件を除けば、わずかに醍醐寺などに伝わる金着茶碗や久能山東照宮の銀着手拭掛・耳盥などが確認されているにすぎない。
 本件のうち、沈箱【じんばこ】・阿古陀形香炉【あこだなりこうろ】・皿・薬鍋の四種は「御本丸小天守御物置金銀御道具帳」(江戸時代後期 徳川黎明会蔵)に「霊仙院様御道具」と明記されており、尾張徳川家二代藩主である光友の夫人千代姫の用いたものであったことが知られ、またこれに記載される他の金器についても霊仙院所用とはないが、その道具帳の記載内容や重量からして、遺存する金銀器に比定できる。何よりも各種文様や彫金の技法が同一、あるいは同時代性を示しており、霊仙院所用はおくとしても、総体として霊仙院千代姫の婚礼が行われた寛永十六年(一六三九)ころの作と判断される。これは銀器についても同様で、三四種におよぶ金銀器が今に遺存する稀有な例としてその存在意義は大きい。
 さらに金銀という材質の貴重性だけではなく、彫金の巧緻な技術と意匠表現の的確さにおいて、江戸時代初期の高度な金工技術水準を示す優品として重要である。

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キーワード

調度 / 婚礼 / /

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