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木造十二神将立像

もくぞうじゅうにしんしょうりゅうぞう

概要

木造十二神将立像

もくぞうじゅうにしんしょうりゅうぞう

彫刻 / 鎌倉 / 東北

鎌倉

8躯

重文指定年月日:19900629
国宝指定年月日:
登録年月日:

本山慈恩寺

国宝・重要文化財(美術品)

 当時薬師堂の本尊、薬師三尊像(延慶三年=一三一〇・院保作銘)と共に祀られる、像高ほぼ三尺の十二神将像である。いずれも、檜材、彩色仕上げ、玉眼嵌入とする。構造は頭躰幹部を前後あるいは左右(未、申像)二材矧とする寄木造りのもののほかに、一部一木割矧造りのものも認められる。
 十二躯のうち、子(頭部後補)、丑・寅・卯・巳・酉・戌・亥の八躯の像は鎌倉時代の作と推定され、それぞれ形姿や、衣・甲の制に変化をつけながら、激しい動態の一瞬が破綻なくとらえられ、忿怒の表情にも生彩があり、躍動する筋肉描写もまた巧みである。彩色も、布を貼り、錆下地を施し、黒漆を塗り、白下地の上に切金を交えて、入念に施されている。その作風は、当代十二神将像の優品として知られる建永二年(一二〇七)頃の興福寺東金堂像(国宝)に通じるものもあるが、動態表現や筋肉描写にやや誇張がみられ、制作時期が下ることを物語っている。また、赤・緑・青系の繧繝を多用し、所々に盛り上げ彩色を用いる賦彩も十三世紀中頃から後半の南都系仏師の諸作品に共通しており、その制作は十三世紀後半頃と考えられ、この頃の十二神将像の秀作として注目される。
 附の辰・午・未・申の四躯は、いずれも彫りは総体的に固く、動勢にも多少ぎこちなさが認められ、また表面を紙貼白下地彩色としており、江戸時代前期頃の補作と考えられる。現薬師堂は元禄五年(一六九二)に建立されたことが棟札によって知られるが、この時薬師三尊像と十二神将像が支院より移安されたことが当寺の記録(『慈恩寺伽藍記』)にみえ、附の四躯はその際前述の鎌倉期の古像に倣って制作されたものかと推察される。彩色もあえて古色を付すなど、古像と一具としての調和が図られていることも興味深く、補作ではあるが、近世彫刻としても出色の出来映えを示すものである。

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