文化遺産オンライン

紙本著色歌舞伎草紙

しほんちゃくしょくかぶきぞうし

概要

紙本著色歌舞伎草紙

しほんちゃくしょくかぶきぞうし

絵画 / 安土・桃山 / 江戸 / 中部 / 愛知県

愛知県

安土桃山~江戸

2巻

徳川美術館 愛知県名古屋市東区徳川町1017

重文指定年月日:20040608
国宝指定年月日:
登録年月日:

公益財団法人徳川黎明会

国宝・重要文化財(美術品)

 歌舞伎ははじめ洛中洛外図の点景として数多く描かれるが、やがて独立した画題としても多彩に展開した。
 本図は詞書のはじめに「采女序」とあることから、歌舞伎を創始した阿国の追随者のひとりである采女の舞台を描いていることがわかる。近年の修理によって二巻となったが、元来は一巻本で、「ふじのおどり」「しのびおどり」「いなばおどり」「かねきき」「して」と題された五種の踊りと、最後に初期女歌舞伎の最も代表的な出し物である「茶屋遊び」を描くものである。詞書の冒頭には、本図が四条河原で活躍し、小歌を得意とした采女という女性の歌舞伎踊りを表したものであることが述べられ、続く五段の詞に踊り歌の歌詞が書されている。最後の詞書は歌舞伎を礼賛する内容の文章となる。
 冒頭の「ふじのおどり」では、年少の童女ふたりが扇を手に踊っており、歌舞伎踊りに先行するややこ踊りを彷彿とさせる。その他の段も舞台に描かれた踊り手の数はきわめて少なく、囃子方も笛一名、小鼓二名、大鼓一名、太鼓一名と小編成である。さらに、「茶屋遊び」の段には他の歌舞伎図に見出される「はな」の描写のなかでも最も古様な木の葉が描かれているという指摘があり、本図はきわめて初期的な女歌舞伎の芸態を表していると考えられている。以上から、多くの遊女が群舞する遊女歌舞伎とは異なり、本図は慶長八年(一六〇三)に史料に初見する阿国歌舞伎からさほど隔たらない初期女歌舞伎のありさまを画面にとどめる貴重な作例といえる。
 本作品の絵画表現は、数ある歌舞伎を描いた絵画のなかでも最も優れている。歌舞伎に興じる老若男女、貴賤僧俗多彩な観衆の、それぞれ異なる感情表現が見事に描き分けられているさまは画家の鋭い観察力をうかがわせる。また人物の着衣などに施される文様は、金銀で描いた上に、さまざまな絵の具でさらに文様を描き込む等、その緻密さ、華麗さは驚くほどである。
 詞書の料紙は、浅葱色と茶色の二種の染紙を用い、金銀の大小切箔野毛【きりはくのげ】をふんだんに撒いており、美麗を尽くした料紙装飾を行う。画面を分節する雲霞の表現も同様な金銀砂子【すなご】切箔野毛を用いているのは珍しい。
 本図の制作時期については従来から寛永期とする説が有力であるが、すでに慶長期から四条河原遊楽図(静嘉堂文庫本、昭和二十七年三月二十九日指定、重文。堂本本、昭和三十六年六月三十日指定、重文)にみるように大勢の遊女が群舞する遊女歌舞伎が盛んであり、寛永六年ころには女人芸能全般が禁止されたと考えられていることから、本図は懐古的に初期の女歌舞伎を描いたものと解釈されてきた。
 昭和五十八年に至って、本図が修理された際に、見返の菊花紋の下に切箔撒きによる葵の紋が隠されていたことがわかり、本図の制作に徳川家ないし松平家が関わった可能性が高くなった。歌舞伎踊りの画面を子細に見ると、下描きの墨線が残っている箇所があり、制作途中で図様を変更したとおぼしいところもある。これは、本図が先行作品の写しではなく、特別の注文を受けて、何度も推敲を重ね、丹念に制作されたものであることをうかがわせる。徳川家あるいは松平家のような大名家が関与した制作であるとすれば、寛永六年ころと推測されている徳川幕府による女人芸能禁止令よりも後に制作された可能性は低くなろう。
 近年に至っては、風俗描写、料紙等の検討から本図の制作時期を慶長期とする説が提出されている。たとえば肩衣は、三角形の裾を絞るように仕立てた形式から、裾を太く、上に行くほど細くして肩先の出を強調した新式に変わっていったとみられるが、本図には両者が混在しており、慶長末期の新旧交代期の様相を示すという指摘がある。また、詞書の料紙が慶長十七年(一六一二)の奥書をもつ「稲富流鉄砲伝書」見返等ときわめて近似しており、本図と同時期の制作とみる指摘もある。加えて、旧見返の意匠も絢爛豪華な桃山時代の嗜好を思わせる。
 本図の画風には人物表現等に岩佐又兵衛の影響が強くうかがわれるが、又兵衛様式そのものではなく、筆者も特定し難いことから、画風によって制作時期を確定するには至っていない。
 この時期は桃山時代から江戸時代への美術史上の転換期に当たるだけに、制作時期の研究の進展がまたれるが、いずれにしろ、慶長後半期から寛永初期という二十余年の間に絞られ得るといえよう。
 本図は、尾張徳川家に伝来し、江戸時代後期の道具帳に記事が見出されるが、見返の葵紋には改変があるものの、徳川家か松平家が制作に関わったと考えられ、大名の歌舞伎愛好の一端を物語る史料としても注目される。
 以上、歌舞伎図中の最優作として、また、初期女歌舞伎の貴重な絵画史料として高い価値を有する作例である。

関連作品

チェックした関連作品の検索