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大矢田のヒンココ

おやだのひんここ

概要

大矢田のヒンココ

おやだのひんここ

無形民俗文化財 / 中部

選定年月日:19991203
保護団体名:大矢田ヒンココ保存会

記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財

 大矢田のヒンココは、「ヒンココの舞」「猩々姫【しようじようひめ】・竜【たつ】のからくり」という素朴な人形戯【ぎ】を中心とし、ほかに稚児渡【ちごわたり】・獅子【しし】渡、稚児舞・獅子舞、などを含む芸能であり、大矢田神社の春の例祭(四月第二土曜・日曜)と秋のもみじ祭り(十一月二十三日)に演じられている。
 その起源は元和元年(一六一五)以来の祭礼記録に関する写本が残ることから、少なくとも近世初頭にまでさかのぼると考えられる。期日については、近世には毎年九月七日・八日に行われており、本来は秋の麦蒔前の予祝芸能であったと思われるが、明治初年の新暦採用により十月七日・八日、昭和四十年から現行のように変更され現在に至っている。
 ヒンココの舞は、祭礼当日に神社参道脇の山の中腹に幕を二段にめぐらしてしつらえた舞処【まいど】下段で行われる。その次第は、当日の明け方より祢宜殿【ねぎどの】と呼ばれる神官を模した人形の舞が始まり、お旅所およびその前の広場での諸行事の終了する午後三時ころまで舞い続ける。広場での稚児舞・獅子舞が終了すると、祢宜殿に加えて軍配を持った庄屋を先頭に一二体の農人形が登場し、麦蒔きの所作を演じる。次に大蛇の人形が登場し、農人形たちを次々と呑む様を演じる。この後、舞い続けていた祢宜殿が須佐之男【すさのお】命となり大蛇を退治する様を見せ、喜びの舞を舞い終了する。人形はいずれも竹を十文字に結び竹籠に紙を貼り色を塗ったカシラと竹籠で胴を作り衣装を着せた素朴なもので、二メートルほどの心竹とカシラを前後に動かす竹で一人で操る。人形の演技自体も、笛・太鼓・摺鉦【すりがね】のゆったりとした囃子に合わせて、左右に大きく揺れてから差し上げる動作の繰り返しで、特に複雑なものはなく、全体として人形戯の古態をよくとどめている。
 一方これらと並行して、舞処上段では猩々姫と竜のからくりが演じられる。上方に縦横一メートルほどの屋形とその下部から滝を模した長さ五メートルほどの筒を斜めに取り付け、屋形の中に猩々姫の人形を、筒に竜を据え付け、細綱【つな】で操作しからくりを見せるが、その機構は単純であり、からくりとしても古い形であろうと考えられる。
 以上のように大矢田のヒンココは、人形の構造・操作ともに古い要素を残しており、芸能の変遷の過程を知るうえで重要である。

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