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内裏塚古墳

だいりづかこふん

概要

内裏塚古墳

だいりづかこふん

古墳 / 関東 / 千葉県

千葉県

富津市二間塚

指定年月日:20020920
管理団体名:富津市(平19・6・15)

史跡名勝天然記念物

 内裏塚古墳は,房総半島のほぼ中央部,東京湾に流入する小糸川が作る河口低地に存在する前方後円墳である。この古墳が所在する富津市では,東京湾に向かって突き出た富津岬が,対岸の三浦半島に迫っている。東京湾のなかで最も距離が接近しており,『記紀』のヤマトタケルの東方遠征の経路にもあたり,古くから交通の要衝として重要な位置を占めていたと考えられる。
 古墳が存在する小糸川周辺には,5世紀中頃から7世紀にかけて営まれた内裏塚古墳群がある。この古墳群は前方後円墳11基を含む合計41基で構成され,内裏塚古墳はこの中で最大であり,最も古い時期のものである。
 墳丘は全長144mで,後円部径80m,後円部高13m,前方部幅77m,前方部高11.5mを測る。2段築成で,東側には作り出し状の張り出しがある。周囲には一重の濠がめぐり,市教育委員会による確認調査の結果,周濠を含めると全長は185mに達することが判明した。墳丘上には円筒埴輪がめぐり,周濠からきぬがさ形埴輪が出土しており,形象埴輪も存在したと考えられる。
 内部主体の調査は明治39年に行われ,2基の竪穴式石室が検出された。東側の石室からは2体の人骨とともに,直刀5点,鉄剣2点,鉄小刀1点,鉄鎌1点及び鉄鏃など,西側の石室からは鏡1点,直刀5点,鳴鏑9点,胡籙金具1点及び鉄鏃などが出土した。胡籙金具は朝鮮半島からの舶載品であり,鉄鎌や鉄鏃も朝鮮半島の影響を受けた新しい形態である。また,鳴鏑は全長7.5cmを測るが,このような大型品は全国的にも類例のない珍しいものである。
 内裏塚古墳は南関東最大の前方後円墳であり、古墳時代中期においてこの地域に有力な政治勢力が台頭してきたことを示すとともに,出土品の内容からすると大和政権と密接な関わりがあったことを示唆する。当時の政治関係を知る上で極めて重要であり,史跡に指定し保護を図ろうとするものである。

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