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亀山における谷口一族関連資料

かめやまにおけるたにぐちいちぞくかんれんしりょう

概要

亀山における谷口一族関連資料

かめやまにおけるたにぐちいちぞくかんれんしりょう

絵図・地図 / 江戸 / 近畿 / 三重県

三重県

江戸中期/①1700
②1701
③1701
④1701、1844
⑤江戸中期

①題目塔         :石造塔
②紙本著色涅槃図   :紙本著色、軸装
③軸装涅槃図裏面墨書:紙本墨書、軸装
④断簡涅槃図裏面墨書:紙本墨書、断簡
⑤板曼荼羅        :木板地黒漆塗に金泥文字

①高140.3cm、幅(前面)45.3cm、幅(背面)42.0cm、奥30.5cm
②縦192.0cm、横143.0cm
③縦118.5cm、横42.0cm
④縦63.6cm、横133.2cm
⑤縦94.6cm、横51.0cm、厚2.2cm

5

①、②、③、④三重県亀山市野村三丁目1番4号
⑤三重県亀山市御幸町302番地

亀山市指定
指定年月日:20160531

①、②、③、④宗教法人 照光寺 服田 英一
⑤宗教法人 本久寺 髙橋 宏仁

有形文化財(美術工芸品)

①本題目塔は、元は慈眼寺(阿野田村旛間田)にあったが、明治10年(1877)慈眼寺廃寺後、天神地内の民有地(現 天神二丁目2番地内)に移され個人により管理されていたが、平成26年(2014)に慈眼寺の本寺であった照光寺に移設された。

②、③、④涅槃図は裏面墨書から、施主「妙信院法悦」と「谷口甚右エ門」により元禄14年(1701)に寄進された涅槃図である。「妙信院法悦」は、谷口長右衛門自榮の法名であり、両名が谷口姓であることから、一族であると推測できる。また「谷口甚右エ門」は、元禄13年(1700)に建立された照光寺蔵題目塔の寄進者である。

⑤谷口一族の寄進活動期は、各地に残る資料銘等から延宝期(1673~1681年)から正徳期(1711~1716年)までが確認できるが、その間、石川家の菩提寺であった本久寺は、石川家が転封するたびに共に移転を繰り返した。谷口一族の寄進活動期に本久寺は亀山市域にはなく、また本板曼荼羅を本久寺が所蔵するに至った経緯についても不明であり、本板曼荼羅が亀山市域における谷口一族の寄進活動によるものかは断定できない。しかし、本板曼荼羅が「妙信院法恱」と「谷口長四良」による寄進物であることは明らかで、谷口一族の寄進活動の一端を示している。

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