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子守堂のサクラ

こもりどうのさくら

概要

子守堂のサクラ

こもりどうのさくら

植物 / 東北 / 山形県

山形県

 エドヒガン 一幹(樹高14.51m、目どおり7.15m、根まわり10.30m)
 白鷹町に残るエドヒガンの古木の一本。白鷹町役場より西北西2.3km。最上川の西岸、鮎貝八幡宮(鮎貝城跡)の西側に位置する。鮎貝八幡宮の南側を通る道路を西へ、相応院に至る細い上り坂がカーブする辺りの右手高台の縁に立っている。そばに小さな「子守神社」の祠がある。
樹高、目どおり、根まわりともに指折りの巨木。老木でありながら、坂道より見上げる姿は、大変見事である。樹高約4mの位置で二つの大きな枝に分かれ、上に延びる大きな枝から多くの枝分かれがあり、樹勢は旺盛である。
 この場所は鮎貝城跡の一角で、「子守堂」とは、昔桜の側に子守堂の祠を建てて籠守大明神を勧請したことに由来する。また、この地を治めた本庄家の子守にまつわる伝説が今も残っている。
 伝説によると、鮎貝城主本庄家三代義長公(1721~1745)の子供はいずれも早世であった。最後に残った三女の以津子姫も病弱で、殿様はいつも気にかけ心配していた。
 ある日、一人の童女が屋敷を訪ねてきて、「私を子守に」と申し出たので、これを以津子姫の子守にしたところ、病弱だったことが嘘のように丈夫に育った。殿様はことのほかこれを喜び、ある日この子守に褒美を与えようと呼んだが、忽然といなくなってしまった。夕方になっても城にもどらず、まわりを探させたところ、桜の木の根元に履いていた草履だけが置いてあり、数日たっても戻ることはなかった。
 本庄家の人々は、この子守は仏の化身だったのかもしれないと、籠守大明神を勧請し祠を建てて祀ったと云う。以津子姫はその後も丈夫に成長し、それからは家系の絶えることもなかったと云う。
 鮎貝の人は親しみを込めて「こんもり(子守)様のさくら」と呼んでいる。

西置賜郡白鷹町大字鮎貝字桜舘3347番

山形県指定
指定年月日:20131129

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キーワード

エドヒガン / 白鷹 / 鮎貝 /

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