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東京湾要塞跡
 猿島砲台跡
 千代ヶ崎砲台跡

とうきょうわんようさいあと
 さるしまほうだいあと
 ちよがさきほうだいあと

概要

東京湾要塞跡
 猿島砲台跡
 千代ヶ崎砲台跡

とうきょうわんようさいあと
 さるしまほうだいあと
 ちよがさきほうだいあと

城跡 / 明治 / 関東 / 神奈川県

神奈川県

明治時代

神奈川県横須賀市

指定年月日:20150310
管理団体名:横須賀市

史跡名勝天然記念物

東京湾要塞跡は,明治時代,首都東京と横須賀軍港等を防衛するため,東京湾岸一帯に築かれた陸軍要塞の遺跡である。このうち猿島砲台跡は,横須賀市の横須賀新港沖合い1.7kmの猿島に所在する。明治14年(1881)11月起工,同17年6月竣工した,要塞最初期の砲台である。島内には,砲座,砲側(ほうそく)弾薬庫,棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)等の砲台施設,砲台間を連絡する煉瓦造隧道(れんがぞうずいどう),隧道内の二層構造の弾薬元庫,電気灯機関舎(木造小屋組(もくぞうこやぐみ),煉瓦造(れんがぞう)平屋建て),送電施設,布積(ぬのづみ)の海岸護岸等の施設が良好に残る。また,千代ヶ崎砲台跡は,同市東端部,浦賀湾口の南岸の丘陵上に位置する。明治25年(1892)起工,同28年に竣工した砲台である。南北の直線上に1砲座(ほうざ)2砲床(ほうしょう)の3砲座が配置され,砲座は西側に平行して存在する塁道(るいどう)と地下交通路で連絡し,塁道―砲座間の地下には砲側弾薬庫,掩蔽部(えんぺいぶ),貯水所などの地下施設が付帯する。このように,猿島・千代ヶ崎両砲台跡は,明治時代,東京湾防衛のため西洋の築城技術を導入して築城された東京湾要塞を構成する砲台跡である。築造当初の姿を良好にとどめ,我が国近代の軍事,築城技術の具体的様相を理解するうえで重要である。

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