文化遺産オンライン

豊後街道

ぶんごかいどう

概要

豊後街道

ぶんごかいどう

史跡 / 江戸 / 九州 / 熊本県

熊本県

江戸

熊本県阿蘇市・阿蘇郡産山村

指定年月日:20130710
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

 豊後街道は、熊本藩の参勤交代道である。豊後鶴崎と肥後熊本城下を結ぶ道で、肥後では清正公道、鶴崎路、豊後では熊本街道、肥後街道とも呼ばれた。慶長6年(1601)、肥後の領主加藤清正は瀬戸内海への通路、基地を望み、天草郡の代わりに豊後三郡内に二万三千石を得、熊本城下と豊後鶴崎を結ぶ32里の街道の整備に着手した。この豊後街道は、加藤氏の後に肥後に入部した細川氏にも引き続き利用された。豊後街道は熊本城下より立田口に出て東行し、阿蘇外輪山の一角二重ノ峠に到る。ここまでが清正公道といわれることが多い。それより阿蘇火口原に下り、内牧、坂梨を経て滝室坂によって再び外輪山をこえ、波野、産山を経て豊肥国境に到り、久住・野津原を経て鶴崎港に達し、それより海路瀬戸内海をゆく。
 豊後街道は熊本藩の参勤交代道として主要な歴史的役割をはたしたのみならず、九州を横断する街道として多くの民衆にとっても重要な道として機能した。遺構が良好に残っている二重峠の石畳道をはじめとする街道5箇所(4.38キロメートル分)及び的石御茶屋について指定するものである。

豊後街道をもっと見る

国指定文化財等データベース(文化庁)をもっと見る

キーワード

肥後 / 熊本 / 参勤交代 / 細川

関連作品

チェックした関連作品の検索