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最上川の流通・往来及び左沢町場の景観

もがみがわのりゅうつう・おうらいおよびあてらざわまちばのけいかん

概要

最上川の流通・往来及び左沢町場の景観

もがみがわのりゅうつう・おうらいおよびあてらざわまちばのけいかん

文化的景観 / 東北 / 山形県

山形県

山形県大江町

選定年月日:20130327
管理団体名:

重要文化的景観

左沢は、置賜(おきたま)盆地と村山(むらやま)盆地とをつなぐ峡谷部に位置し、朝日(あさひ)山地の山間部を東流する月(つき)布(ぬの)川(がわ)と楯(たて)山(やま)を境に北流から南流へ大きく変曲する最上川が合流する地点に展開する谷口集落である。近世に米沢(よねざわ)藩(はん)の船(ふな)屋敷(やしき)が設置されるなど河岸が所在したことにより、山間部で産出された青苧(あおそ)などの取引を中心とする最上川舟運によって町場が発達した。
左沢における町場の発展は、大きく4期に分けられる。第1期は陸上交通の要衝である楯山に山城が設置された中世で、麓には現在も「元(もと)屋敷(やしき)」の地名が残るなど山城周辺に町場が展開していたと考えられる。第2期は河岸集落として栄えた近世で、小(こ)鵜(う)飼(かい)船から艜(ひらた)船への物資の積み替え地となるなど、左沢は流通・往来の結節点として大いに栄えた。他方で、17世紀前半に左沢藩主となった酒井(さかい)直(なお)次(つぐ)により小(こ)漆(うるし)川(かわ)城(じょう)の設置及び城下町の街立てが行われ、左沢は政治都市としても発達した。第3期は鉄道が敷設された近代で、それまで最上川水運を通じて全国とつながっていた流通が、陸上交通により村山盆地の山形・寒河江(さがえ)など近傍の都市へと特化された。第4期は自動車の普及によりさらに陸上交通が発達した現在であり、昭和11年の大火を受けて、近世以来の地割りを継承しつつ道路拡張を行うなど、時代に応じた土地利用が行われている。
このように左沢の町場景観は、最上川河畔における政治都市と河岸集落という複合的な都市機能を示しつつ、中世から現代にかけての各時代の都市構造が重層した文化的景観である。

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