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神代直長宛て鍋島勝茂覚

くましろなおながあてなべしまかつしげおぼえ

概要

神代直長宛て鍋島勝茂覚

くましろなおながあてなべしまかつしげおぼえ

文書・書籍 / 江戸 / 佐賀県

佐賀県

承応4年3月27日付/1655

紙本墨書

縦39.7cm 横102.6cm

1通

佐賀市松原2丁目5-22

公益財団法人鍋島報效会

初代佐賀藩主鍋島勝茂の四女伊勢菊(1620~80)は、龍造寺家系統の重臣・多久安順・徳寿院(勝茂姉)の養女として、重臣・神代(くましろ)常利に嫁いだ。常利の跡は、子の常宜が継ぐも承応4年(1655)に17歳で早世。そこで神代家の家督を相続したのが勝茂の六男直長(1628~93)。直長は寛永5年(1628)に誕生し(母は正室・高源院)、はじめ関将監清長の養子となっていた。
本資料は神代家相続に際し、勝茂が直長に送った心得書。第一条ではまず、「長門(神代常宜)へ子・兄弟にてもこれ無く候へ共、前々よりの筋目に候条、名字連続し候はでは叶わざる儀に候」として、神代常宜には跡を継ぐべき実子や兄弟はいないが、神代家を存続させる必要性を述べている。そこで直長を「前伯耆」(神代常親=常利の父)の娘(伊勢満)と婚姻させる形で「神代家督」を申し付けている。さらに神代家の名字の重要性について、「もし拠無く名字を替え候はば、知行の儀は名字に付たる事に候条、その意を得らるべき事」として、知行地は直長個人ではなく神代家に与えたものと釘をさしている。
また「自今以後は伊勢菊事、其方一人相頼み罷り有るべく候条、孝行致すべき覚悟第一の事」として、伊勢菊は夫の常利を亡くし、子の常宜にも早世され独り身であり、今後は直長だけが頼りとなるため実姉への孝行を尽くすようにと諭している。勝茂はこの年76歳。病のため江戸参府もできないほどであった。伊勢菊の行く末を案じ、直長に託す父勝茂の気持ちが慮られる。勝茂はこの2年後に没するが、その菩提を弔うため、伊勢菊は勝茂の肖像画を高傳寺に奉納している。

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キーワード

勝茂 / 佐賀 / 鍋島 /

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