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土佐藩主山内家墓所

とさはんしゅやまうちけぼしょ

概要

土佐藩主山内家墓所

とさはんしゅやまうちけぼしょ

高知県

江戸時代

高知県高知市

管理団体:公益財団法人土佐山内記念財団(H28.5.24)

個人

史跡/告示番号:26(2016.03.01(H28.3.1)指定)

土佐藩主山内家墓所は,江戸時代,土佐藩20万石を領した大名山内家歴代の墓所として営まれたものであり,高知市中心部を流れる鏡川(かがみがわ)右岸沿いの丘陵,筆山(ひつざん)北麓に位置する。慶長10年(1605)高知にて没した初代藩主一豊(かつとよ)が筆山に葬られたのを嚆矢として,江戸参勤中になくなった藩主もその遺骸を国許に持ち帰って葬儀・埋葬する「帰葬(きそう)」の方式が採られた。歴代の藩主(十五代豊信(とよしげ)を除く)と,藩主子女・正室・側室の一部が筆山に葬られ,菩提寺の真如寺(しんにょじ)において葬儀・法要が行われた。墓所は,南北約130m,東西約200mの範囲で,最上段に初代一豊墓を,その下段に歴代藩主の墓域を置き,最下段部に子女の墓域を配する構造であり,墓域の造営は6期の変遷がある。高さ3~5mの墓標や,高さ2mの石灯籠,藩主の事績を記した亀趺(きふ)といった巨大な石造物が立ち並ぶ。墓標の形状は初代の無縫塔(むほうとう)形に始まり,三代藩主からは位牌(いはい)形に変遷する。発掘調査では,覆屋ないし塀等の基礎遺構,石組み側溝等を確認した。藩主の葬儀等を記した文献史料や図面等もよく残る。江戸時代の国持大名の墓所として威厳と風格を備え,幕藩体制下の大名の墓制,葬制を知る上で貴重である。〈出典:国指定文化財等データベース〉

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キーワード

墓所 / 藩主 / / 大名

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