文化遺産オンライン

中村家住宅

なかむらけじゅうたく

概要

中村家住宅

なかむらけじゅうたく

城郭建築 / 江戸 / 近畿 / 滋賀県

滋賀県

江戸時代後期~江戸時代末期/1751~1867

主屋 一棟
桁行22.8メートル、梁間7.7メートル、入母屋造、茅葺、正背面及び東面庇付、桟瓦葺、背面桁行6.2メートル、梁間3.8メートル角屋)附属、桟瓦葺、東面桁行3.8メートル、梁間7.0メートル落棟附属、入母屋造、桟瓦葺

表門 一棟
三間薬医門、切妻造、桟瓦葺

土蔵 一棟
桁行5.6メートル、梁間3.8メートル、切妻造、正面庇付、桟瓦葺

馬屋 一棟
桁行12.1メートル、梁間3.0メートル、切妻造、桟瓦葺

附 箱雁振瓦 2個
   宝暦十四甲申年二月吉旦の記があるもの 1
   甲申年二月吉旦の記があるもの 1
   仏壇 1基
   主屋ブツマに安置するもの

4棟

長浜市八木浜町809番地

滋賀県指定
指定年月日:20170323

中村壽夫

有形文化財(建造物)

 中村家住宅は、長浜市八木浜町の集落に所在する。中村家は伊予河野氏の末裔で、近世には彦根藩の代官を務めたと伝える有力者であった。敷地は南北約120m、東西約60mで、西の敷地境に表門を開き、北面は琵琶湖へ繋がる水路に接し、水路に面して石組みの船着きが現存している。水路は、かつては東面、南面、西面の一部に廻り、表門前を除いて、ほぼ四周を囲っていた。広大な敷地内には、北半に主屋、土蔵、馬屋、鎮守社、木戸門、厠等が建ち並び、南半は、現状は畑となっているが、かつては「馬かけ場」と呼ばれ、馬の調教場があったと伝わる。
 主屋は東西方向を棟とし南面して建つ。建築年代を直接示す史料はないが、部材の風蝕や経年程度から、18世紀中期の江戸時代後期の建築と推定され、所蔵の箱雁振瓦の刻銘にある宝暦14年(1764)頃に建てられたと考えられる。内部は畳敷きの8部屋と、桁行4間の広い土間で構成される。畳敷き8部屋のうち土間境の2部屋は、もとは「にうじ」と呼ばれる土座で、米原から北部、塩津街道より東部と福井県の県境付近に分布する余呉型と呼ばれる民家形式である。余呉型の標準的な規模は土間・にうじ・部屋(2部屋)で、規模が大きくなると部屋数が4部屋の建物もあるが、中村家主屋は「にうじ」を除くと部屋数が6部屋である。平成26~27年に行われた調査により、主屋は、建築当初から現状と同規模であったことが判明し、県内で確認できる最大規模かつ唯一の大型余呉型民家である。また昭和47年に敷地内に居住棟を設け、近代の改造がほとんどなく、建築当初の形式が明確に復原できる。
 表門は、敷地西面の道路との境に建つ。中央に両開板扉を入れ、北脇間は潜戸を吊り、南脇間は板壁で閉じる。建築年代を示す史料はないが、部材の風蝕や経年程度から、19世紀中期頃の江戸時代末期の建立と考えられる。民家の門としては規模が大きく風格があり、代官職を担った上層農家の表門として重要である。
 土蔵は、正面入口に庇を設け、屋根は置屋根である。
 馬屋は、敷地北面西端の水路際に建ち、内部は土間となっている。ともに部材の風蝕や経年程度から江戸時代末期の建立と考えられ、中村家の屋敷構えを構成する要素として重要である。

中村家住宅をもっと見る

地方指定文化財データベースをもっと見る

キーワード

八木浜 / 余呉 / 附属 / 長浜

関連作品

チェックした関連作品の検索