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「伏木港」昭和十四年版

ふしきこう しょうわじゅうよねんばん

概要

「伏木港」昭和十四年版

ふしきこう しょうわじゅうよねんばん

文書・書籍 / 昭和以降 / 富山県

発行:伏木町役場 、印刷:越中活版株式会社

ふしきまちやくば えっちゅうかっぱんかぶしきかいしゃ

富山県高岡市

昭和14年7月1日発行/1939

紙・リーフレット・印刷

縦16.2㎝×横11.7㎝、(展開時)48.3×70.2

1部

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-03-77

高岡市(高岡市立博物館保管)

 本資料は、伏木港・伏木町の概要を記したリーフレットである。
 表紙には「伏木港」「明治十四年版/富山県伏木町役場」とあり、船が描かれている。
 見開き式で展開すると、表面には、伏木港の位置・沿革・出入貨物屯数だけでなく、港界・防波堤及導水堤・潮位・波浪・潮観位測・航路標識・港内航路・桟橋岸壁及物揚場・上屋及倉庫・臨港鉄道・起重機・船舶給水・水先案内・定期及定航路船・主要港里程・商業・工場・生産総額などに至るまで事細かに記されている。「伏木町全図」が掲載されている。
 裏面には、土地・戸口・交通・教育・警備・衛星・社寺・社会事業・財政・歴代町長・金融・官公衛学校・入港船舶など表面と同様に詳細に情報が記されている。
 資料状態は汚れがある。

【伏木港(ふしきこう)】
 高岡市と新湊市(現・射水市)の市境、小矢部川河口を中心とする国の特定重要港湾。正式名称は伏木富山港伏木地区。富山港や富山新港とともに伏木富山港を形成している。
 港としての機能は、大伴家持が越中国守として着任した当時からであったが、近世になって初めて港として表舞台に登場し、寛文3年(1663)幕府の船政所13港の1つに指定される。明治32年(1899)開港場指定、昭和に入り日本海沿岸随一の港として発展。昭和39年(1964)石油配分基地用埋立地が、翌年国分港にタンカー専用岸壁が完成する。同50年7月に旧ソ連のワニノ港との間に定期配船が開設、日本とナホトカ港間の定期船も毎月寄港している。明治24年(1891)藤井能三が「伏木築港論」の中で記したとおり、ソ連社会主義崩壊後の環日本海経済圏の浮上で、対岸貿易の重要性が増してきている。来航船舶の大型化、河口部の浚渫費増大、石油配分基地に隣接する民家の安全性確保などの解決策として、平成元年(1989)から伏木外港が建設着工された。
HP「富山大百科事典[電子版]」 http://webun.jp/encyclopedia_of_toyama/top

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