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絵葉書(高岡市内・富山県内)

えはがき(たかおかしない・とやまけんない)

概要

絵葉書(高岡市内・富山県内)

えはがき(たかおかしない・とやまけんない)

歴史資料/書跡・典籍/古文書

【2-6・2-7・2-10】日本電力株式会社

高岡市、富山県

大正7~昭和7年頃/1918~32年頃

紙,印刷

◇高岡市内絵葉書(17枚)
【1-1】縦9.2cm×横14.1
【1-2】縦14.0cm×横9.1cm
【1-3】縦9.1cm×横14.1cm
【1-4】縦9.1cm×横14.1cm
【1-5】縦9.2cm×横14.1cm
【1-6】縦9.1cm×横14.1cm
【1-7】縦9.1cm×横14.1cm
【1-8】縦9.1cm×横14.1cm
【1-9】縦9.1cm×横14.1cm
【1-10】縦9.1cm×横14.1cm
【1-11】縦9.1cm×横14.1cm
【1-12】縦9.1cm×横14.1cm
【1-13】縦9.2cm×横14.1cm
【1-14】縦9.1cm×横14.1cm
【1-15】縦9.1cm×横14.0cm
【1-16,1-17】縦8.9cm×横14.1cm
◇富山県内絵葉書(10枚)
【2-1,2-2】縦9.0cm×横14.2cm
【2-3~2-5】縦8.9cm×横14.0cm
【2-6~2-8】縦14.0cm×横8.9cm
【2-9~2-10】縦8.9cm×横13.9cm

27

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-249

高岡市内及び富山県内に関する絵葉書(計27枚)である。

◇高岡市内絵葉書(17枚)
以下の【1-1】~【1-17】絵葉書の発行推定年代:大正7~昭和7年(1918~32)頃
【1-1】「高岡駅前」
 大正5年(1916)に全面改築された、2代目高岡駅前を写したもの。駅舎の右側には電話交換棟、左側には荷物取扱い棟があり、中央改札棟は吹き抜けになっていた。写真左の建物は、富山県内初のデパート・グリーンホール(大正12年開業)。1階は食堂、2,3階は百貨店、ホールでは展示会も開催されていたが、昭和戦中の建物疎開で取り壊された。

【1-2】「末広町通り(七本杉)」
 高岡・末広町通りにあった七本杉を中心に高岡駅方向を写したもの。七本杉は樹齢千年以上の老木といわれ、樹高は38m余りで7本の大枝をのばしていたが、1894年の強風で2本となった。高岡駅前通りの中心にありこの七本杉により交通妨害を引き起こし、また老樹の衰えも進んだことから1927年伐採された。

【1-3】「桜馬場公園」
【1-4】「桜馬場公園夜桜」
 桜馬場は1609年の高岡開町時に前田利長が造成した馬場に、のち利常が桜を植えたのがはじまり。明治後期から昭和前期まで、北陸有数の桜の名所として賑わった。桜馬場公園は1902年に公園化され、高岡市民のみならず、県内、県外(金沢や福井など)からも花見客が訪れ、臨時列車が運行されるほどの盛況ぶりだった。

【1-5】「御馬出町郵便局前通り」
 高岡市御馬出町から守山町を望む。右手前に見え
る建物は高岡郵便局前通りの風景。

【1-6】「特別保護建造物(瑞龍寺)」
 高岡市関本町にある高岡山瑞龍寺(曹洞宗)は、加賀前田家2代当・前田利長の遺徳を末永く称え伝えるために3代利常によって建てられた寺院である。右手前より仏殿、法堂を写したもの。瑞龍寺は20年もの工期をかけて建てられ、寛文3年(1663)に完成した。当時は広さが118,800㎡(36,000坪)もあり、周囲に2重の堀をめぐらし、まるで城のようであったという。大工棟梁は名人といわれた山上善右衛門嘉広。現在、仏殿・法堂・山門が国宝に、総門・禅堂・大茶堂などは国指定重要文化財になっている。


【1-7】「横田橋付近」
 横田橋は、大正13年(1924)に木橋からコンクリートの橋に架け替えられた。

【1-8】「前田利長公碑(繁久寺)」
 正面奥に墓標とレリーフの基壇、門と玉垣がみられる。その手前の鳥居(1877年神明鳥居)に至る参道は1913年の墓所整備によるものと思われる。現在との違いは、鳥居の手前下に現在ある石製献花台(梅鉢文入り)が見られないなどが挙げられる。

【1-9】「高岡市街全景(其一)」
【1-12】「高岡市街地全景(其二)」
 高岡市街地を写したもの。家々の屋根が連なっている。

【1-10】「古城公園朝陽橋」
 写真奥に高岡古城公園本丸北東部の朝陽橋が見える風景を写したもの。

【1-11】「古城公園駐春橋」
 現在の二の丸の護国神社付近から大手町方面を撮
影したもの。この橋は湾曲が強く、「太鼓橋」(転じて「太閤橋」)と呼ばれていた。

【1-13】「古城公園御野立所」
 1909年10月2日に皇太子殿下(後の大正天皇)が
高岡古城公園に行啓した際、本丸北隅に設置され
た「御野立所」の跡。現在は石碑が立ち、面積は
1/3程に縮小されている。写真中央には「皇太子殿下御野立所」跡を囲む鎖の柵がみえる。樹木が少なく見晴らしがよい 。

【1-14】「国幣中社 射水神社」
 城内本丸にある延喜式内社。もと二上山麓に鎮
座。717年、行基が養老寺を建立。〈二上大権
現〉と称し、盛大を極めた。中世の戦乱で衰退。
神体は男神坐像(重文)。江戸時代は前田家の祈
祷所となる。1875年現在地に遷座された。

【1-15】「古城公園前堀」
 桜咲く古城公園の堀を写したもの。

【1-16】「高岡高商プール」
【1-17】「高岡高商プール」
 高岡高等商業学校は、現富山県立高岡高等学校敷地にあった旧制の専門学校。「官立高岡高商」の名で親しまれた。昭和19年(1944)、戦時非常措置として工業専門学校に転換、同24年に富山大学工学部校舎に利用された。


◇富山県内絵葉書(10枚)
以下の【2-1】~【2-10】絵葉書の発行推定年代:大正7~昭和7年(1918~32)頃

【2-1】「立山 雄山神社」

【2-2】「富山県 大岩不動尊」

【2-3】「会場全景」
【2-4】「正門」
【2-5】「本館」
(【2-3~2-5】発行:富山市主催・日満産業大博覧会)

【2-6】「(黒部峡谷)跡曳水路橋」
【2-7】「(黒部峡谷)柳河原発電所全景」
【2-8】「(黒部峡谷)錦繍関」
【2-9】「(黒部峡谷)宇奈月温泉全景」
【2-10】「(黒部峡谷)鐘釣温泉天然浴槽」
(【2-6~2-10】袋付「黒部遊覧記念絵葉書」/発行:日本電力株式会社)


※参考文献
・『高岡市立博物館 特別展「古写真にみる高岡」パンフレット』(2018年)
・『保存版 ふるさと高岡』(2009年、郷土出版社)

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