梁川八景
やながわはっけい
概要
蠣崎波響(1764~1826)は第12世松前藩主資広(すけひろ)の5男として福山城に生まれ、家老蠣崎将監広当(ひろまさ)の跡継ぎとして養子になり、家老を務めた。波響が松前藩の移封により、梁川へ向かったのは文化5年(1808)とされている。家老として波響はたびたび江戸や松前・函館を往復し、復領のために画策した。一方、この梁川時代は、波響にとって画人として絵筆を取り、詩作も行い、多くの優れた作品を残しており、最も油ののった時期といわれる。
中国の「瀟相(しょうしょう)八景」を模して、日本でも近江八景や金沢八景など各地で名所をあてはめ描かれている。この作品の場合は第1景に愛宕山から見た梁川の全体的な景色を配し、ほかの7景は波響の生活に関わる場所を取り上げて、春夏秋冬の順に描いた八景図といえる。
それぞれ、「壬申初夏従梁川宕嶽望城中真景」「梁川城南門暁暉」「菅廟夜花」「境街南望秧針雨」「塩野川製蚕綿」「梁川渡口秋色」「大門村途中紅葉」「広瀬橋微雪」と題書され、第1景の題書から文化9年の作とわかる。「城中真景」とあるように、単なる名所絵ではなく、梁川城を中心とした一帯や、波響が毎朝復領を祈願した天神社など、実際の景観を正確に写す姿勢がうかがえる。波響の画稿にも、二本松の山々や会津磐梯山などの写生が見られる。山水画としても、梁川に対する想いがにじみ出た、素朴で詩情あふれる作品に仕上がっている。
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