維摩
ゆいま
概要
下村観山(1873~1930)は、和歌山で代々紀州徳川家に小鼓で仕える能楽師の家に生まれる。明治14年(1881)に一家で上京。幼少から狩野芳崖、橋本雅邦に師事し、明治22年に新設の東京美術学校(現東京芸術大学)に入学し、大和絵を学び、同27年に卒業、同校助教授になる。日本絵画協会第1回共進会で「仏誕」が銀牌受賞など、早熟の天才と呼ばれる。
校長岡倉天心の辞任に殉じて美術学校を去り、日本美術院の創設に加わり、再興後は横山大観らと中心的存在となる。イギリスに2年間官費留学し、水彩画を中心に西洋美術を研究する。優れた技法と徹底した古典研究に裏打ちされた作品を数多く残している。晩年は中国の絵画に発想を得て、枯淡の境地を示す。
維摩は在家の仏教信者で、仏弟子も及ばぬほど学識豊かな人物といわれる。釈迦が弟子たちに維摩の病を尋ねると、誰もが病を恐れるなか、文殊菩薩だけが維摩のもとを訪れる。文殊菩薩の問いに維摩が答えると、天女が現れ、天の華をまく。道理を理解した維摩は動揺することなく静観している。わずかな筆と色遣いで、維摩の人格を表現し、幽玄の空間を作り出す観山ならではの作品である。
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